映画『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』
僕は、今までの生涯ずっと東京で過ごしてきていて、一度も東京から出たことがないので、自然というもの全般に凄く距離がありました。
同時に凄く憧れや興味がありました。
その自然の中でも飛び抜けて海が好きでした。
よく、黄昏たかったり、自暴自棄の時に人が海を見に行こうというのがありますが、僕には黄昏れるというより、人生の分かれ道や何かをジャッジする時に行きたいなと勝手に思っていました。
だから、今回旅したくなるというテーマで、作品を考えてみた時に、この世界の状況もありますが、今は現実逃避や一人で考え直すというよりは広い海を見て、前を向いて歩こう。と思い、一つ一つクリアにしていこうと感じ、まず、「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」が浮かびました。
この作品を初めて観たのは20、21歳くらいの時でしたが、5〜6年振りに観ました。
劇中の中のセリフで「一つ、一つ夢を叶えていこうぜ」みたいなセリフがあって、それが僕は印象的で、死が決まった二人が最後に人生を謳歌する……。
フィクションでよくある話だけど、見返して感じたのは、その劇的な1シーンをそのまま自分も生きてみたいというわけじゃなくて、あくまで自分のイマジネーションですが、西ヨーロッパを旅しながら、明け方、人が誰もいない広い静かな海に着いて散歩してみたいと、思いました。
昼間のビーチじゃなくて朝の海です。
多分、この先も確かな事は分からないですが、都会や組織を離れてみた時に、ただ路上や広い自然の中でただ友達や大事な人と歩いてる時間に一瞬だけ訪れてくるものが、幸福や生きてる実感なのかもしれないとも思う時があります。
だから僕は、ハメを外したいわけでもセンチメンタルになりたいわけでもなく、自分を取り巻く一つ一つの事柄を確かめるように、西ヨーロッパを旅をしてみて、道中の早朝で海の渚を散歩してみたいです。
まあ、色々と想像の中の話をしましたが、かなりの出不精で、海外だって2〜3回、数日しか行ったことなくて説得力はないですが、反対にそれこそが旅行じゃなくて「旅」という意味でもあるのかなぁと自分を鼓舞してます。
支離滅裂な文章になってしまいましたが、とにかく旅をするというのは、現実逃避というよりは遠い静かな海で散歩するのが自分のホンネと一緒に歩く様な感覚だと思うんじゃないかなと感じました。
この作品は東京や仕事に疲れた時に、見つめ直すというよりはその環境に身を置きながらも、大事なものなんだっけ?と確認したり、目の前に起きてる失敗や後悔はこの広い海と波の前じゃ小さなもんだ。と思えます。
そして大層なメッセージじゃないけれど、静かな広い海に行きたくならせる素晴らしい作品です。
吉村 界人
Profile:Kaito Yoshimura
1993年2月2日生まれ/ 東京都出身
趣味:グラフィティアート、読書
特技:卓球(東京都個人優勝)
公式HP:オフィシャルサイト
第10回 TAMA映画賞 最優秀新進男優賞(2018年)