INTERVIEW

KENJIRO YAMASHITA

常に進化し、人生を創造する

Interview,text: Makiko Yamamoto
Photo: Takeshi Hirabayashi

三代目J SOUL BROTHERSのパフォーマーであり、朝の情報番組の曜日メインパーソナリティ、最近では個人のYoutubeも開設するなど多方面で活躍している山下健二郎。夢を形にしつづけてきた彼の原動力と人生の冒険に迫る。

Q山下さんといえば、ダンスはもちろん、釣りやDIYなど多趣味でも知られていますよね。まさにADVENTURE KINGというイメージです。

A僕は好きなことしかやってこなかった人生で、“好き”を仕事にしたいと思っていたので、それを諦めずに続けて良かったなと今は思います。小さい頃もずっと好きなことをやっていました。当時は釣りとバスケに熱中していましたね。

Qダンスとの出会いはいつですか。

A高校生の頃になります。当時僕の同級生がブレイクダンスを習っていたので、高校の文化祭の出し物でダンスのユニット組んで出ようとなりました。
その時、「ブレイクダンスってかっこいいな」と思って。それで友達に放課後教えてもらったことが、始めたきっかけです。その時にナインティナインの岡村さんがめちゃイケでブレイクダンスを踊ってたんですよ。あれがすごくかっこよくて、ああいう風に一瞬にして人を魅了出来るダンスの力はすごいなと思ったし、そこからどんどん自分で掘り下げていって、近くにあるフィットネスクラブのダンス教室に通い始めたり、友達に教えてもらったりして……今に至ります。

Qそれで才能が開花したんですね。

A田舎だったのと、当時はそんなにダンスをやっている人もいなかったので、ちょっとやったらワァーってチヤホヤされたんです(笑)。それがすごく嬉しくて。
高校卒業後、大学に進学したのですが、大学では自分のやりたいことが見つからなくて。それですぐに学校に行かなくなってしまい、その後1年間ほどバイトとダンスばかりしていました。
ダンス仲間とチームを組んで、ダンスに励んでいました。ずっとやめなかったのがダンスと釣りでした。好きな事をずっと続けつつも、さすがにこれ以上親に迷惑かけられないなとも思い始めていました。ニートのままアルバイト生活をすることに将来の不安を感じていて……そんなとき、母親にダンスの専門学校を勧められて、友だちと1回体験入学に行くことにしました。
すごく良い専門学校だったので、その春入学し2年間みっちりダンスの基礎を学びました。ダンスを真剣にやり始めたのはそこからですね。

Q自己流と専門学校はやはり違いましたか。

A全然違いましたね。
まず、同じ志を持った仲間たちが近くにいるということで、すごく頼もしかったです。ダンス漬けの日々でした。月曜日から金曜日まで360日レッスンがあって、放課後もずっとみんなで踊ってたりするんですよ。
ただ、好きなジャンル以外にもオールマイティーに全部踊れないといけなくて、色んなジャンルを習いました。技術の他に、知識とかダンスの歴史、ステップの名前、ダンサーの名前も勉強するんですよ。
苦手なこともやったし、好きなこともあったし……。
でもそのお陰で卒業した後にダンサーとしての仕事に非常に役立ちました。どんな現場に行っても恥ずかしくないというか。だから専門学校に行って良かったなと思います。

Q体系的に学ぶことができるんですね。そのときにダンサーとして進もうと決意されたんでしょうか。

A専門学校2年目で進路を考えなくてはいけなくて、ちょうどEXILEの存在が大きかったり、芸能にも興味があって……そのときから「いつかアーティストとして、パフォーマーとして東京に行って、有名なアーティストになりたいです」と常に言っていて。
そんな感じで「どうしようかな」と思ってるときにちょうどEXILEのバックダンサーのお話を頂いたのが全ての始まりですね。

Qそこで今の山下さんが生まれるんですね。

A2007年に「EXILE LIVE TOUR 2007 EVOLUTION」というアリーナツアーがあって、大阪城のホールでライブがあったんですけど、僕のダンスの師匠が大阪公演バックダンサーを集めてくれと言われた方だったんですよ。それで僕に「とりあえずやってみろ」とお声がけをいただき、もちろん「じゃあやってみます!」と即答しました。
そのツアーでの衝撃が凄くて……自分の人生が全て変わったような気がします。

Q衝撃というと。

Aまずダンサーには”パフォーマー”という仕事があると知ることが出来ました。
“歌って踊れる人”はいっぱいいるんですけど、”踊るだけの人”がいると知らなかったんです。DA PUMPさんがその筆頭ですよね。
アーティストとしての”踊る”という職業はなんだろうと、考えさせてくれたのがそのツアーでした。そこでバックダンサーをしたときにいただいた歓声や、ライブの雰囲気、LEDを背負って出てくるEXILEを見た時に「めっちゃかっこいい! あぁもうこれだ」と思いました。
「これになるしかない、ダンスをやるならここを目指したい。それが俺の夢だ」って……そこからですね、「EXILEになりたい」って色んな人に言いまくりました。

Qそして見事夢を掴まれたと。

Aそうですね。ラッキーでした。

Qラッキーではなくて実力ですよね。
相当努力もあったと思いますし、ダンサーとして将来に不安もたくさんあったと思います。当然挫折を味わわれたことも。そういう時の乗り越え方はありますか。

A正直いっぱい落ち込んだこともありましたが、僕はずっとポジティブなことしか考えてなくて……それは良い意味ですごく”馬鹿”だったんだなって(笑)。
馬鹿正直で真っ直ぐに「なれるんだ!なれるんだ!」としか思っていませんでした。今思ったら恐ろしいことだなと。もう真っ直ぐに俺にはこれしかないんだと勝手にそうなってたんですけど(笑)。
あとは色んな人に自分の夢を聞いてもらったことが大きかったのかなと思っています。人に語れるくらいの自分の意思の強さと夢を持っていれば、少なからず夢に近づいていくのだと思います。
それは自分を追い込んでいることでもあるんです。 “自分がこうなりたい”って人に語るということは、つまり、それなりに実現をしないといけなくなる。
「お前全然努力してないじゃん」と返ってきたらそこまでですから。その時は努力もしていたし、自信を持って動いていました。だからこそ色々な繋りができて、たくさんの人の力をいただいて、今の夢を掴んだのかなと思いますね。
その時はインストラクターもやっていたんですけど、生徒にも「自分の夢を話したほうが良いよ」と言っていました。
一番損するのはシャイな人だと思っていて。海外の人はオープンじゃないですか、意思も強いし。でもそれって一歩間違えば我が強い奴になっちゃうかもしれないですけど……だから僕は、日本人の心も持ちながら、自分の意思を淡々と語れる人が好きですね。シャイになりすぎると人生損すると思います。夢は語ってこそ叶うものだと。

Qそれって言霊ということもできますよね。

Aまさにそうですね。言霊って本当にあるなと思っています。
HIROさんも「言霊は必ずあるから、口に出して言うことはすごく大事」とおっしゃっていて、自分の中で思っているだけでは誰にも伝わらない。言葉にして初めて自分の意思が表示できるんです。
まずは種を蒔かないと育たないのと一緒で、種を沢山蒔くことが大切だと思うんです。100の案があって99がダメでも、残りの1つの可能性が大きく育てば僕はそれでオッケーだと思っています。だからできるだけたくさんの種を蒔いて、それが無理だったら別な方法を考えて……という風に、今でもそうやって動いてます。すごくそれが大事です。

Qそれがまさに「人生を創造する」ということなんでしょうね。

Aおっしゃる通りだと思います。
今、三代目J SOUL BROTHERSとしてもアルバムやシングルを出させてもらったり、テレビにも出させてもらったり、また、個人活動も充実していて、環境はすごくいいんですけど、そこにずっと甘えているといつか自分がダメになっていく気がします。極端な言い方かもしれませんが、“常にビビりながら生活している”というのが正直なところあるんです。
だから、自分で色々情報を掴んで、自分で動かないと怖いんですよね。
環境に甘えたら絶対ダメになっちゃう。自分で新しいことをどんどん作っていかないと。

Q常に進化していくということですね。

Aはい、絶対にそうし続けたいです。

Qその中で山下さんが今後目指したいものとは。

A僕は、実は一つしかなくて“所ジョージになりたい”んですよ。第二の所ジョージさんですね。それしかないです。

Q所さんは歳を重ねてもなおやんちゃでキラキラしていますよね。

Aそうなんです! 所さんの世田谷ベースは男の憧れが詰まっている。僕は所さんマニアなので、番組の世田谷ベースのDVDもほぼ持っていますが、別に所さんと全く同じことをしたいわけじゃなくて、ああいう生き様というか、所さんのような器の男になりたいんです。ちょっとやんちゃそで、趣味もいっぱいあって、好きなものに囲まれた空間で、でも、ご家族をすごく愛されてるという、あんな素敵な男になるために今を精一杯頑張っています。

インタビューで感じた彼のまっすぐな情熱。迷いや不安をも上回る熱量で「好き」を追求していく姿勢だった。夢をつかむのは並大抵なことではない。だが夢を夢で終わらせないほどの努力をすれば、少しずつでも夢に近づいていくんだ……彼は人生を通して、それを体現しているように思えた。

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