Photo: Taro Washio
Text: Makiko Yamamoto
メンバーの脱退、そして再加入と様々なドラマを経て今年結成20年を迎えたm-flo。各メンバーのこれまでの歩みが再びここで一つの実を結んだ。ニューアルバム「KYO」をリリースしたばかりの彼ら、今回ADVENTURE KINGはVERBAL氏へのインタビューを敢行した。
Q今年11月にリリースされたニューアルバム「KYO」、拝聴いたしました。2017年にLISAさんが戻られて完全復活後、初のアルバムですよね。しかも2枚組の超大作という。
Aそうですね。LISAは2枚目のアルバムを出した2002年に脱退し、その後僕ら2人は、色んなアーティストとフィーチャリングする「m-flo ”loves”」というフェーズに入ったんです。”loves”でもLISAと一緒にやってはいたものの、フィーチャリングという形だったから。LISAはオリジナルメンバーですし、「戻ってきてほしいね」と☆Taku (Takahashi)とも話して、LISAにもラブコールをしていたのですが、そうこうしているうちに時間が経ってしまって。
2年前にメンバー全員で久しぶりに会ったときに「また3人でやりたいね」となって正式に再始動することになりました。
今年結成20周年というかなりの長い時間を経て来ましたが、やっぱりずっと一緒にやりたいという気持ちがあって……きっと僕らは運命的な出逢いなんですよね。
Q2曲目「E.T.」でLISAさんの声が聴こえたとき、一気に青春が蘇ってじわっとくるものがありました。そういった懐かしさも感じつつ、全体的には多数のアーティストとのコラボも含め、新しい音への挑戦、未知の感覚というか、攻めている感じが伝わってきて新鮮でした。アルバムコンセプトをおきかせください。
Aいつも僕たちは宇宙や未来などをテーマにしていまして、2000年にリリースした1stアルバム「Planet Shining」からどんどん進化を遂げてきました。
今回は“違うところから違う人生を歩んできた3人が、このアルバムのために同じ次元、同じスペース、同じスタジオに入って、作品をつくる”ということを全体のストーリーとして軸にしています。
近年、「インターステラー(クリストファー・ノーラン監督)」という映画にもあるような“パラレルユニバース”の概念に興味を持っていて、そういった経緯から温めてきたネタの一つでもあったんですけど、LISAも☆Taku(Takahashi 以下、Taku)も自分もそれぞれの道を歩んできたなかで、ここでもう1回m-floオリジナルメンバーでやろうというのは、パラレルユニバースが交差したみたいなイメージ……つまり、僕たち3人がいる一つの次元を表現したくて、そのようなテーマで名付けました。
「KYO」というのは「today」でもあって、響くの「響」であって、クレイジーの「狂」であって、協力の「協」もあって、同音異義語じゃないですか。それがすごく面白かったので、色んな「KYO」を経てtoday(今)があるという意味で「KYO」という名前にして。初の和風なタイトルですが、それがみんなでしっくりきた感じですね。
Q99年にメジャーデビュー後、それぞれ違うパラレルユニバースを築かれて、再び交差した時に、また違ったケミストリーがあると。
Aそうですね。そしてそれぞれの時差というか誤差というか、“期待値のズレ”をどんどん合わせていくプロセスも新鮮でした。
例えばLISAは結構前にメンバーだったので、レーベルやマネジメントなどの仕組みや契約形態、そして今のm-floとしての活動に対して「昔はこうだったじゃない!?」という誤差があったり、そこに対して「昔はそうだったけど今はこうなんだよ」と現状を教えて、理解してもらうというプロセス。
他には、現在僕は44歳になって、少しは大人になっているので、昔みたいな“若さゆえの無謀なテンション”じゃないことに対しても、「VERBAL、昔はこうだったじゃない」なんて指摘されて「あ、そうだったっけ」と当時のことを思い出しながら……ここ2年は、そんなお互いの帳尻を合わせていくプロセスが楽しくて。
音楽もメンバー全員が思う“楽しい音楽”というのを集めて、お互いにぶつけ合って、やっと出来上がったアルバムなんです。
Qだから聴いていて幸せなエネルギーを感じることができたんですね。納得しました。
ところで、VERBALさんは音楽活動以外にもデザインや、プロデュース業など多岐にわたってご活躍されていますよね。まさに天から二物以上の才を授かっているというか。ここまでの経緯を改めてお聞かせください。
A音楽に関しては、一番最初にヒップホップに出会ったのが小学校のときでした。
母にアメリカに連れていってもらって、道端でラジカセを置いてブレイクダンスをしているストリートの人たちを目の当たりにしたんです。「なんじゃこれは!?」という衝撃は今でも忘れません。
その後、中学生くらいから自分でリリックを書きはじめ、Takuとバンドを組んだんです。
高校生の時はバンド活動をしたり、デモテープ作るときはジャケットを描いたりもしていました。
実は昔から漫画家になるのが夢で、デザイン心もあったので、そういったデザインもいつかやりたいなと思いながら描いていましたね。それで、高校時代にとあるメーカーからデビューのオファーを頂いたんですけど、そのときに親から「ラップして生計立てようなんて馬鹿げている」と猛反対されたんです。
確かにラップで食べていくなんて当時は現実的じゃなかったので、僕も同感して「じゃあ大学いくよ」と。
それで、Takuと僕はそれぞれ大学に進学しました。
大学では経済学と哲学を専攻して、卒業したあと外資系の金融機関で仕事してたんですけど、すぐに自分には向いてないと気づいて会社を辞めました。理性的な判断というよりは、本能に任せて辞めたので、後先は考えていなかったんです。
ただそれがきっかけで日本に戻ってきたときに、Takuが音楽事務所に所属していて、そこでリミックス作るから久しぶりにラップしてよとお願いされたのがキッカケでm-floが始まったという、ある意味行き当たりばったりのスタートだったんです。
リミックスに乗っけたラップがアナログ版になって、最初の500枚くらいがすぐ売れたからもう1曲作ろうとなって。久しぶりにTakuの実家で曲を作って、それで作る曲、作る曲が評判が良かったので、当時僕が所属していた事務所の社長が「デビューできるんじゃないの」って背中を押してくれたのでその後もずっと作りつづけていましたね。
当時男2人でヒップホップグループをやっていたのですが、「華がないよね」ってことで高校の先輩だったLISAにサビを歌ってもらおうよっていう流れでLISAが加入しました。
2年以内の間でインディーズで人気になって、メジャーデビューしましょうという具合にトントン拍子に進んでいきました。
昔は音楽業界のことは全く分からなかったので「こんなものなのかなぁ」なんて思いながら、僕はボストンで大学院に通い始めていたんです。
なので、当時は大学院に行きながら、「帰れる時に帰ってきます」という感じでレコーディングとかライブの時に戻って来ていたんです。でも、それがだんだん音楽活動の需要が増えてきて。
日本でこんなチャートにインしてるんだ、なんてTakuがめでたいことを言ってくれるんですが、僕にとっては現実的じゃなくて最初はピンとこなかった。
でも実際に戻ってくるたびにどんどん盛り上がっていたので、加速的にやる事が増えていっていたのは事実です。大学院に行きながらファーストアルバム作って、ライブして、ツアーして、その後セカンドアルバム作って……。
そんなこんなのうちに「本格的に忙しくなってきたしVERBALも日本で音楽活動に専念してみたら」と言われて、大学院を保留にして日本に残るようになったのが2002~3年で、そこから音楽活動に集中し始めた感じですね。
Qドアが開いたら、あとは不安もなく前に突き進むだけという感じですか。
Aいや、僕は慎重派なので、レコード会社と契約してもそんな成功するのは難しいし、なんて思っていました。
そこだけ変に現実的というか現実的に考えようとしてた。だから周りのみんなにデビューして印税生活しろよとか言われても「いやいや売れたら印税生活するけど印税生活できない人はどうしてるんですか。バイトしてますよね」ということで、当時所属事務所の地下がバーだったんですが、日本にいて音楽の仕事がないときはそのバーでバイトをさせてもらって、音楽で出動だってときだけ出て、またバイトに戻るという生活をずっとやっていました。
幸いにも次第にそのバーにいる時間が少なくなって、音楽活動が忙しくなったので音楽の仕事に専念できるようになりました。
Q慎重派ですね、確かに。石橋を叩いてというか、ダメになった時のことも考えていたんですね。ファッションや他のアーティストのプロデュースとか、デザインのお仕事はその後からでしょうか。
A曲を出したあとくらいから「曲を書いてほしい」というオファーはいただいていて、歌詞やラップの提供はしていました。
でも本格的なプロデュースは、大学院を保留にして日本に残ろうと言った2003年くらいからですね。当時「ASAYAN(アサヤン)」というオーディション番組があって、ヒップホップアーティストを選抜する審査員として出演させていただいて、その後勝ち抜いたHeartsdalesという姉妹ユニットを「VERBALがプロデュースするんでしょ」みたいな流れになって。
アートワークから全部関わらせて頂いて、プロデュースとはこういうことかと学びました。そこからアーティストのプロデュースをさせて頂くようになって、じゃあレーベルを立ち上げようということで、エイベックスの中でレーベルを立ち上げさせて頂いて、そこからプロデュースという道筋が一つ開けた感じですね。
ファッションに関しては、もともと好きだったのもあって、ステージに立つ時は衣装を意識したほうがいいんじゃないと思っていたので、スタイリストがつく前からみんなで「色ぐらいは統一しようよ」と話していました。
あと、日本のストリートブランドにも友だちができて、衣装提供をしていただくうちに、どんどん自分もデザインしたいなっていう気持ちが高まって、今の「AMBUSH」というブランドを妻のYoonとはじめることになりました。それで自分たちが作ったジュエリーをたまたまカニエ・ウエストが目にして「自分にも作って欲しい」よというオーダーをいただき、カニエが着用した瞬間に一気に広がりました。
Q今すごくコンパクトに話して頂いたので、トントン拍子色々なことが開けてきたみたいな感じなのですが、きっとその裏にはいろんな苦労があられたりとか、VERBALさんの人望だったり、信念などがきっと作用しているのではと思うのですが、生きる軸や生きる上で大切にされていることはありますか。
Aまずは“継続は力なり”と昔から信じているので、ちょっと嫌なことがあったり、壁にぶち当たってもすぐにめげないようにしています。続けてくと何かに繋がるんだと思うんです。
とは言え、成功ばかりではなく失敗した事業もあるのは事実です。ただ、失敗した事業も実は今に繋がっているものがあったりするので、それは決してただの失敗に終わったとは思っていません。
継続していく中で、仲間を増やしていかないと一人では出来ない。だから発信して、チームを作るのも大事です。やっぱり周りの人たちが全てを変えていく。チームビルディングをしつつも、バラバラな方向にそれないように常に軌道修正をして同じ方向をみられるようにサポートします。自分が突っ走るのではなく後ろからそっと押すというか。
「ボス」になるのではなく「リーダー」になるというのは極力気にかけていることで、「黙って俺に付いて来い」と言ったら誰も付いてこないので、サポートしながら仕事がしやすい環境を作る、みんなを後押しする事がリーダーの責任なのかなと思っていますね。それは年々痛い目に遭いながら学んできたことです(笑)
Q様々なチャレンジの積み重ねで今のVERBALさんがあるということですね。
VERBALさんにとって冒険とは何でしょうか。
A居心地が良くないかもしれないけど、夢に向かってリスクを負うことが冒険かなと思います。
ベタな言い方かもしれないけど、新しいプロジェクトを始める……つまり、もう1回m-floでやろうというのは僕たちの中では冒険だったんですよね。脱退もあった上で、もう一度やるというのはどうなんだろうと。
エイベックスさんからリリースさせてもらうけど昔みたいに売れてないしとか、昔はCD売れてたけど今はCD自体売れないし、じゃあストリーミングしていくとしてそういう層に果たしてm-floは刺さるのかとか、結構そういうことを考えて。
当然恐れもあるんですけど、ただそれも冒険というか、夢。
続けていきたいという気持ちを一心に引っ張っていくというところなので。
夢を形にしていくことが冒険なのかと思いますけど。
Qでは最後に、今後挑戦してみたい冒険はありますか。
Am-floとしては、Loves含め、m-floの仲間を集めて大きなフェスをやってみたいなと思っています。また、世界での活動も視野に入れながら、大規模なことを打ち立てるというのも夢ですね。
個人的には「AMBUSH」を海外で店舗展開すること。今現在も世界からアテンションを頂いてはいますが店舗を持っているわけではないので……店舗となると色々と難しいことも出てくると思いますが、そこも一歩一歩、石橋を叩きながら慎重にオープンに向けて進めていければと思っています。
その二つが大きな夢ですね。
最初から最後まで礼儀ただしく、一つひとつの質問に丁寧に応じてくれたVERBAL氏。「石橋を叩いて人生を歩んで来た」と語りながらも、ときにリスクを負って夢を叶えるために冒険に立ち向かう彼の生き方は我々に勇気を与えてくれる。オリジナルメンバーで再始動したm-floからますます目が離せない。
m-flo Profile
98年にインターナショナルスクールの同級生だったVERBALと☆Taku Takahashi の2人で活動をスタート。
後に、ヴォーカルとしてLISAが加入し、m-floとして本格的に始動。
同年にインディーズからリリースした「The Way We Were」は驚異的なセールスを記録。
99年7月に1stマキシシングル「the tripod e.p.」でメジャーデビュー、オリコン初登場でいきなり9位をマークした。
その後も快進撃を続け、シングル12枚、オリジナルアルバム2枚をリリースし大ヒットをおさめた。
2nd ALBUM「EXPO EXPO」に至っては80万枚のセールスを樹立し、日本の音楽シーンに強烈なインパクトを与えた。
02年にLISAがソロ活動に専念するため、惜しまれながら脱退を決断。
03年、VERBALと☆Taku Takahashiの2人となったm-floは、さまざまなアーティストとコラボしていくという”Loves”シリーズで日本の音楽史に“featuring”という概念を定着させた。
05年には日本武道館でのワンマンライブを、07年には横浜アリーナ公演をかつてないほどのスケールで大成功させる。
また”ROCK IN JAPAN FESTIVAL”や”SUMMER SONIC”などのステージにも登場するなど、アンダーグランドからオーバーグラウンドまで、縦横無尽な活動で、日本の音楽シーンに新たな風を吹き込んだ。
08年、41組とのコラボレーションを実現した”Loves”シリーズに終止符を打ち、新たな可能性を求め、プロデュースやリミックス、DJ、また自身のブランドや別ユニットなど個々の活動で活躍していた。
そして2017年。日本を代表する最強のトライポッド「m-flo」が15年振りにLISA・VERBAL・☆Taku Takahashiのオリジナルメンバーで完全復活!!