INTERVIEW

Dai Tamesue

——人生は幻のようなもの、だったら思う存分面白い人生をいきていきたい——

“普通じゃないこと”にチャレンジし続ける、終わりなき冒険

Interview/ text: Makiko Yamamoto
Photo: Taro Washio
Filiming: Taro Washio
Film Editing: Hiro Mitsuzuka
Music: Mahbie
Location: Shin-toyosu Brillia Running Stadium

Q為末さんは2012年の現役引退後も、テレビ出演や書籍の出版などを含め、新たなチャレンジ…つまり“冒険”を続けられていますよね。昨年は「株式会社Deportare Partners」を設立されて。言葉の意味が気になったので調べてみたら、デポルターレってラテン語でスポーツって意味なんですね。

Aそうですね。デポルターレという意味に関しては、僕および会社としては、スポーツ、遊び、文化、ウェルネスといったイメージで、“人間が関わって生き生きと表現している”といった捉え方をしています。
事業内容としては、この施設(新豊洲Brilliaランニングスタジアム)の運営も行っていますが、主はスタートアップ支援ですね。新しく起業して会社を作っていく人への支援とか、そういった会社に出資をしてサポートするという業務です。

Qなるほど。それで合点がいきました。ブログ「私のパフォーマンス理論」を拝読していて思ったのが、為末さんはアスリートやスポーツ理論を書かれているんですが、それがそのまま自分の人生や経営に活かせる内容というか。誰が読んでも何かしらの“気づき”がある…そんな印象なんです。
その考察力の深さに毎回感銘を受けます。

Aそうですか?ありがとうございます。
僕の興味の対象は「人間」なんですよ。“人間を理解する”というのが僕の大きなテーマなんです。何をするにしても「人間」が介在するので、その人間を理解したいと。自分が新しい局面に出くわしたときにも、今まで出てこなかった自分の癖が浮上してきたりするんですよね。それで今度は“自分という人間”を理解できる。まさに先ほどおっしゃって頂いたように、僕がいつも新しいことをしている、つまり、冒険しているように見えるのは「今までと違う新しいことをやると、より人間の理解が進むんじゃないかな」という考えがあるからだと思います。
ブログでは色んなテーマで書いているようであって、その根底には「人間はこういうところもあるんじゃないか」っていうのを、角度を変えながらひたすら書いているんです。その点ではスポーツ以外の色んな世界に多少繋がりがあるんじゃないかなと思っています。

Q以前お話を伺った時は、大学で研究もされていましたよね。

Aはい、心理などですね。学位を取ることが目的ではないので通ってはいませんが籍は置いてあって、学会があると行くようにしています。人間に興味があると言いましたが、1番の興味は“人間の心”なんですよね。

Q言葉と行動は繋がっているというか、全ての事がリアクションとして自分の体に反応していくのではないかと思います。スポーツでいえば、試合の結果に繋がったりするでしょうし、人生においても同じなのだと。よく言われる言霊というか。

Aそうですね。言語化するのはやっぱり重要だなと思っていて、特に人間はいつ考え始めるかというと、“問われて初めて考え始める”と思うんですね。自分で考える人でも、一番最初のアイディアは自分が自分に問いかけて始まるのであると。「何故私はこれをしたいのか」「どうしてこれはこうなっているのか」という自問自答のプロセスで人は考えていると思うんですね。言語を媒介として。
だから言葉を上手く使えるようになることで、“しかるべき問い”と“しかるべき答え”が導かれていくので、言語というものは考える上では重要だと思っています。人間の心の描写も言葉になることが多いので。

Qやっぱりそれは英語で考えるのと、日本語で考えるのは違いますか。

A全然違うと思いますね。僕自身あんまりネイティヴじゃないというのもありますが、英語で考えると対象が直接ですよね。日本語はふわっと投げて、成立しちゃうところがあって。例えば「雨ですね」という主語のない話し方が日本語だと出来る気がするんですよ。誰に話すわけでもなく宙に投げるみたいなね。英語の方がもっと主語と対象物が明確で、“私があなたにこれを伝えている”というニュアンスがある気がしますね。

Q3年間アメリカに住まれていましたが、やっぱり日本とアメリカの違いは感じますか。文化や考え方の違いとか、例えば「個」と「社会」とか。

Aそうですね。私の人生でその3年間の経験は大きい気がしますね。それまで純粋に日本だけで育ってきたので、色々な違いを知ることができたのは大きかったですね。
日本的にもアメリカにもそれぞれ良いところはあると思いますし、日本は今、世界に開いていく過程にあると思うので、「個人」というのを意識する必要があるんじゃないかなと思いますね。今までの日本文化の中にそれが全くなかったと思うので。

Q最近はSNSの影響もあってか、メディアに出られる方々って、ちょっと個性が強い主張をするとすぐ炎上してしまっていますよね。為末さんもメディアに出られる立場としてその辺は気をつけていますか。

Aあんまり気にしていませんね。
「お騒がせして申し訳ありませんでした」という言葉が日本語にあるじゃないですか。でも、“騒がせた事が問題なのか”という問いがあるわけですよ。“騒いだ方の問題”はどうするんだという。
もちろんケースバイケースで、どちらかが悪いとハッキリしている場合もあるかもしれないですけど、“騒いだ”“騒がれた”ということだけを捉えると、実は両者ともに問題はないんじゃないかと思うんです。
新しいことをはじめるとき、少なからずの波風はつきものであって、“世の中に波風立てる事自体が問題だ”という捉え方をしていると、新しいものが生まれなくなっちゃうんじゃないかと。
「それが日本文化だよね」って一般的に言われていますが、戦後の日本の発展の歴史の中で、偉人と言われる方々はものすごい波風を立ててきている。
そう考えると結局ここ十数年で日本がぎゅーっと固まってきちゃっただけで、別に元に戻れないことはないんじゃないかなぁっていう気はするので。ある種の揺り戻しがこれからもっと起きていけばと期待していますね。

Q今回、ADVENTURE KINGがWEBメディアとして再始動するにあたって、創刊当時の原点に戻って「人生は旅であり、生きることは冒険である」というコンセプトで皆さんにお話を伺っているのですが、為末さんの人生に対するブレない想い、軸があれば教えていただきたいです。

A難しいことを聞きますね(笑)。
やっぱり楽しくやるということと、面白くないことはやらないということでしょうか。
僕は、面白いことをやっている時が一番幸せで生き生きしている気がするので。
何に対して面白いと思うのかというと、やっぱり極端に大きなものとか、新しいものとか、人の概念を変えそうなものなどに対して「面白い」と思うところがあって、それを言葉にしようとすることもありますし、現実のものでやろうとする時もあるのですが…やっぱり自分が「面白い」と思ってないものはやっちゃいけないなと、色々やった経験から思っている次第です。

Qそれはつまり、「わくわくすること」とも言い換えられますね。

Aそうですね。
軸で言うとしたら、「自分にとってそれはびっくりすることなのか?」というのが大事なんですよね。自分の人生においても「まさかこんな人生生きると思っていなかった!」と将来の自分が思いそうな選択をしようというのがありますね。普通じゃないこととかも含めてね。

Q為末さんが今1番気になっていることやチャレンジしたい冒険はありますか。

A国の垣根を取り除いたらどうなるんだろうということに興味がありますね。
オリンピックで言えば、選手村って選手しか中に入れないんですよね。1回選手村に入っちゃうと各国の選手しかいない、つまり世間の目が届かないんですよ。そうすると、案外北朝鮮の選手と韓国の選手が食堂でバナナを渡し合っていたりして。
選手村で、政治上仲良くない国の選手同士が肩を組んでいるって訳ではないですが、そんな光景を目にすることがある。
そこで「じゃあ地球上のどこかに常時選手村を作って、パスポートとか関係なく入れるようにしたら、何が起きるんだろうか」ということに興味が湧いて。
そんなこと、どこかの国が土地の提供を許可してくれるのか、どこかに人工の島を作るのか、方法は分からないですが、もしオリンピックのように“4年に1回の2週間”じゃなくてそれが常設されていたら、どうなるんだろうと非常に興味をそそられるわけです。

Qそれは私も非常に興味があります。国は違えど同じアスリートですもんね。競技に人生をかけてきた者同士という。

A“縦軸の国籍”と“横軸のアスリート”という軸があって、我々アスリートの人生ではそれらのアイデンティティは半々なんだと思うんです。でももっと細かく掘っていけば、国のアイデンティティとアスリートのアイデンティティ、さらにもっと違うアイデンティティがあるはずで。一人の人間の中には多様なアイデンティティがありますからね。
でもオリンピックにおいては、選手村を出ると一気に国籍のアイデンティティが優位になるから、余計にコントラストが見えやすいのかなと思いますね。

Qオリンピックといえば、来る2020年東京オリンピックに期待されることはありますか?

A今企画しているのですが、各国の選手が自由に集まれる場を作れたら良いなと思っています。
1928年アムステルダムで開催された第9回オリンピックにおいて日本人初の金メダリストになった織田幹雄さん(三段跳び選手)という方がいらっしゃるのですが、1964年の東京オリンピックで織田さんは選手村の近くに住んでいらして、自宅の庭に「サロン」を設けたんです。そこに夜な夜な選手村から選手やらコーチが集まっては、三段跳びや幅跳び、高飛びのジャンプの会議をして、そのネットワークがずっと残ったと言われているんですね。
ですから僕も2020年にそのサロンをやって、世界中の選手が交流するような場所をつくれたらいいなと思っています。
今、アジアの5,6カ国に選手の指導に行かせていただいているので、それらの国の選手や家族も気軽にこられるような、選手と外の人が交流できるような場所を作れたらいいなと思っています。
期間中はお酒とか出してるんじゃないですかね(笑)。

Qいいですね。そのようなリラックスする場所があったら。さっきおっしゃっていた選手村の小さいバージョンみたいに国の垣根を超えられる場所。

Aまさにそうですね。やっぱり僕は「スポーツ外交」というのが自分の人生で一番大事にしたいことで。異なる国同士の関係性の中で“人間”というものが表れてくる気がするので、それは生涯を通してやりたいことですね。

Q為末さんはすでにアスリートという枠を超えて、メディアや書籍を通じて多くのメッセージを発信してこられていますよね。その一連の活動を通じて、受け手に届けたい想いというのはあるのでしょうか。

A僕は広島の五日市というベッドタウンから出てきたんです。37〜8年前の当時はまだ田んぼがあって、僕が引っ越したくらいからベッドタウンになった町なんですね。
そこで走ってたらたまたま足が速くて、南高校というところでインターハイに出場して、それから東京に出てきてオリンピックに出場して…でもどこかでまだ人生に実感が持ててないところがあるんです。
幻を生きている感覚があるというか。
もちろん人生に実感を持って生きていくことは大事なのですが、でもかなりの部分が幻や思い込みで出来ている気がしていて。それは悪い意味じゃなくて、ね。
「元の木阿弥」という話をご存知ですか。戦国武将の死を隠すために、声の似ていた木阿弥(もくあみ)という男を代わりに立てて外来者を欺いていたのですが、それがバレて元の身分に戻って「元の木阿弥」ということになるんですけれど、なんだか僕もそういう感覚がどこかにあって。
そう考えたら僕はすごく気が楽なんです。「どうせ無かったものなんだから思いきり冒険しないともったいないな」という感じなんですよ。
これがリアルな自分の人生に感じられて、地位や名声を守らなきゃいけないという風に思ってしまうと、元々の性格が保守的なのできっと冒険しないと思うんですよ。でも、「これも全部幻だ」と思うと、「だったら思いきり遊ばないとつまらないな」と思える。
つまり伝えたいところはそこなんですよね。人生幻なんだから思いきりやりたいようにやって、「なるほどこういう着地点だったか」と死んでいくのがいいかなと思っているので、それを伝えたいなと。
肩の荷を下ろしたい時もあれば、視野を広げたい時もあって、考えたことのないようなアイディアを出したい時もある…人生色々あるんですけどそのベースとしては、「人生幻なんだからやりたいようにやる」というのが思うところですよね。

Qそう思うと、なんか気が楽ですね。

Aそうですね。そして将来、孫がいるかどうかは分かりませんが、死に際くらいに、孫に対して「この年齢の時にはこういう事して、40代にはまさかこういう事が起きてね」って語っているほうが、面白そうじゃないですか。
順調に生きてきましたっていうよりはね。そういう意味で、後に語ったら面白そうだなという人生を生きていたいなと思います。

人間を知りたい、国境のないサロンを作ったらどうなるか…常にわくわくしながら人生を紡いでいる冒険野郎、為末大。彼と対話していると、知らず知らずのうちにこちらも勇気と元気を受けとっていたようだ。幸せなエネルギーは人を通じて他者を幸せにする、そう思えたインタビューだった。そして、我々は実に清々しい気持ちでスタジアムを後にしたのだった。

ADVENTURE KING為末大 –Dai Tamesue-

Profile 為末大

1978年広島県生まれ。
スプリント種目の世界大会で日本人として初めてメダルを獲得。3度のオリンピックに出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2019年8月現在)。
現在はSports×Technologyに関するプロジェクトを行う株式会社Deportare Partnersの代表、一般社団法人アスリートソサエティの代表理事を務める。
新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。ブータン五輪委員会(BOC)スポーツ親善大使。
主な著書に、『走る哲学』(扶桑社、2012年)、『諦める力』(プレジデント社、2013年)などがある。

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