北カリフォルニア、そこには気の遠くなるような昔からの大自然が今も生き続けている場所がある。
ネイティヴアメリカンたちが聖地としてあがめてきたエリアでは、表現に困るほどの不思議な体験をすることになった。
地球の偉大なエネルギーを感じる旅へ、いざ。
Photo, text: Makiko Yamamoto Cooperation: カリフォルニア観光局 / ユナイテッド航空
聖山マウントシャスタの5合目にて。初夏であるにも関わらず深い残雪がみられるのは昨シーズンの豪雪のため。かすかに覗く黒い山肌が雄々しく我々を迎えてくれた。
TRY TO TUNE UP MY MIND
本来の自分を取り戻す時間
①レッドウッド国立州立公園で出会ったオスのエルク。角は毎年生え変わるのだが、まだ初夏だったため角表面はベルベットのような質感なのだとか。
北カリフォルニアにいくつかある国立、州立公園はそのスケールに圧倒される。数時間のトレイルの果てにもまだ全容を見いだすことのできないほど広大な敷地において、木々や滝が手つかずのようでちゃんと“保護”されているのだから素晴らしい。電波もあまり通じない、ましてや車の音さえも聴こえない…森に分け入るごとに少しずつ身体の毒が溶解し、息を吐くごとに毒素が流れ出ていくのを感じる。そして心は一切の雑念を排除し、ただ目の前の一歩を楽しんでいるのだ。余計な心配や不安と無縁だった子どもの頃のあの感覚、水や幹や葉や草の香りを嗅ぎ分けられたあの研ぎすまされた感覚が自分に蘇っているのを感じる。幸せとはモノや地位で得られるのではなく、“幸せだと気がつける心”を持っているかどうかなのではないだろうか。
②McArthur-Burney Falls Memorial State Parkで出会った、先住民族が聖なる場所として大切にしてきたと言われる滝の一つ、バーニーフォールズ。
③マウントシャスタにある「クリスタルガイザー」の源泉にて。誰がおいたのか、透明なクリスタルがぽつんと立っていた。
④パシフィック・クレスト・トレイル(Pacific Crest Trail、略称PCT)はメキシコ国境からカナダ国境まで1600kmの長距離自然歩道。この全区間を歩ききるには4~6ヶ月を要するのだとか。この偉大な冒険にいつか挑戦してみたい。
⑤レッドウッド国立州立公園では、レッドウッドの種子を発見。こんなに可愛いタネからあの巨木が育つのだ。
CALIFORNIA DREAMING
夢か現(ルビ:うつつ)か幻か
カリフォルニアで最も好きな道路、PCH(Pacific Coast Highway)をゆったりとドライブ。最初にこの道を知ったのは、2014年、サンディエゴからサンフランシスコまでマスタングでロードトリップした時だった。往復10日程度のショートトリップだったものの、晴れたときは屋根を全開にして太陽と風を思いっきり楽しんだものだ。PCHは西海岸ぎりぎりに作られたtwisty & trickyな道路であるが、その風光明媚さは世界中の旅人を魅了してやまない。さらにハイウェイの沿道に拓かれた町のピースな雰囲気とサーフカルチャーもこの道をトレンディに響かせている理由のひとつ。今回は北側からサンフランシスコへ南下したのだが、分厚い曇り空が美しく、えも言われぬ郷愁を添えていた。 ①砂上にそびえる橋がアイコンのフォートブラッグのビーチ。 ②フォートブラッグ南部のエルクにて。打ち寄せた波がまるでレースのような紋様を表わしていた。
NOSTALGIA IN THE TWILIGHT
夕暮れのひとときをソノマカウンティのボデガベイの水辺で静かに過ごしてみる。ここはヒッチコックの映画『The Birds(鳥)』で一躍有名になった街であり、ソノマはワインカントリーとして世界的に名高い。沈みゆく太陽をみながら振り返る今回の旅。頭のシャッターで切り取られた場面が早くも懐かしさとともに脳内に広がる。切なさと感謝の気持ちを次の旅の原動力にしよう…胸の奥底がじわっとアツくなるのを感じた。
①北カリフォルニアの小さな街、McCloudで出会った味のあるバス運転手さん
②ソノマの醍醐味、ワインテイスティングはSonoma Coast Vineyardsで
③Ricochet Ridge Ranchでは乗馬でビーチ散歩を楽しむことができる
LIVE IN HARMONY WITH NATURE
北カリフォルニアの旅で私は終始心が揺さぶられつづけていた。マウントシャスタで体験したネイティヴアメリカンの儀式『スウェットロッジ』では自分の芯からの声を聞き、連日のトレッキングで1mgずつ心が軽く自由になるのを感じた。 見るもの触れるもの全てにこんなにも魂が呼応したのは初めてで、戸惑いと驚き、そして喜びと充実感など様々な感情が一気に押し寄せては消化されていくのだった。 目が冴えて眠れずにいたある夜、私はロッジを抜け出して森に入っていった。マウントシャスタの何者かに導かれるように、足取りは迷いなく、立ち止まりもせずにぐんぐん進んだ。人の光が一切届かない十分奥深い場所へたどり着いた私は、躊躇もなくその場に横になった。冷たいかと思った地面は、柔らかな冷ややかさで私の背中と接し、その優しさに安堵を覚えた。空を見上げると幾千もの星が瞬き、そして動き、違う生命体を眺めているかのようだった。 そのとき初めて“山鳴り”を聴いた。首都高速を上から覗いたときに聴こえるようなゴゴゴゴ、ビュービューという轟音が山全体をぐるぐると駆け巡っているのを聴いた。 ぼんやりと星を見ながらその巡回に耳を傾けていると、塊だったその音が次第に分解していった。何かが飛び回る飛行音、風が走り抜ける音、クリスタルボウルを指で撫でたときの超音波のような音、木々が揺れ、葉がこすれる音、動物たちの息づかい、それら一つひとつが明確に分かれて脳に届いてきた。 そう、実は色々な音が重なり合って“山鳴り”になっていた。 人間はこの大きな流れに生かされているのだと気がつき、そうしてこの雄大な自然の一連の流れに“溶け合いたい”と強く願った。「個がなくなってもいい、融合して溶けきりたい」 地球と会話すること、土地のパワーを感じることを初めて理解した。その先にあるまだ見ぬ世界を感じたいと思った。その時には“第3の目”でモノを見ることになるに違いない。その時までにもっと自分を研ぎすまさなくてはいけない。 横たわりながらそんなことを考えていたら、とてつもない眠気に襲われ、現実に引き戻された。それまで感じていた“宇宙”に名残惜しくさよならを告げ、私は夢見心地でロッジへと戻るのだった。