INTERVIEW

YOSUKE KUBOZUKA

窪塚洋介 ―則天去私の羅針盤―

いまも昔も、世界情勢はつねに荒波に晒されているが、
コロナ禍以来、その動向の目まぐるしさは異様だと思えてならない。
前後不覚になるほどの嵐のなかで唯一頼れるのは正確な“羅針盤”。

どこか浮世離れしたような、それでいで渦のど真ん中にいるような…
冒険野郎・窪塚洋介と対話すると、彼の中に確固たる羅針盤があるのを感じる。

窪塚洋介に問う、人生の羅針盤。

Interview/ text: Makiko Yamamoto
Photo: Kenichi Muramatsu
Video: Hiro Mitsuzuka
Hair & Make-Up: Shuji Sato

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ADVENTURE KING 2023 WINTER 窪塚洋介インタビュー「人生の羅針盤」スペシャルムービー

Interview/ text: Makiko Yamamoto
Photo: Kenichi Muramatsu
Video: Hiro Mitsuzuka
Hair & Make-Up: Shuji Sato

反省はするけど後悔はしない

ADVENTURE KING (以下:AK)

「人生の冒険」をテーマに創刊し、今年で12年目になるADVENTURE KINGですが、2018年以来の紙媒体復活ということで、初心に帰ったテーマでお話しを伺えればと思います。
人生を一つの航海に例えると、その進路を定めるのに羅針盤は欠かせないアイテム。そこで洋介さんにとっての「人生の羅針盤」は何か、ズバリお聞かせいただけますか。

Y.Kubozuka

一番正確な羅針盤とは何かと考えたとき、やっぱり”自分の心がわくわくするかどうか“ということに尽きると思ってて。
わくわくしちゃえば楽しめるし、楽しんでたら、その結果がどうであれ、結果はおまけでしかないと思うから。やっているその“最中”が一番のオーガズムというか、一番いい瞬間。その上で、結果が評価されたり、我々だったら興業が良かったとか、物が売れたとか、そういうことに繋がってきたら、それはもうご褒美でしかない。
例えば今日みたいな撮影だと“撮影している最中”が一番のご褒美のはずだから、そのためには自分が楽しんで、わくわくできることを選ぶことが一番大事だと思ってて。
“コウカイ”で言うと、「反省はするけど後悔はしません」ってよく言ってて、“コウカイ”違いだけど(笑)。後悔しない人生を歩みたいなら、心の声に従って。一番聞きやすいところにいるんだけど、なかなか聞きづらいのが“自分の声”なのかなと思う。周囲の雑音にかき消されてしまいがちだけど、ふとしたときに―例えばそれが趣味の時間だったり、自然の中にいるときや寝る前だったり―どの瞬間でもいいけどその声を聞くっていうことはすごく大事だなと思ってる。
そうしていれば、楽しんで感謝して歩んでいける。怪我してから、いまも含めてその後の人生は全部ギフトみたいなもんだから、どんなことも感謝しようと思ってて。しんどいこととか大変なことがあっても、「仮にあの時死んでたら、これも味わってないもんな」って思ったら、それにすら感謝できるというのもあるし、(いま起きていることは将来)絶対良くなるために、起こっているんだ、というのは強く思ってるてので。
バスに乗り遅れたとか、重いことでいえば死にかけた、とかいろいろあるけど、“死ぬこと以外はかすり傷”って思えば、「あらゆることは良くなるために起こってる」と思えるはず。
インビテーション…“より良くなるためのチケット”みたいな感じ。そういうふうに思えれば、この先、「もう本当訳わかんない時代になってきて」…って言い出してもう20年ぐらい経ってるけど(笑)、いまはさらに訳わかんないことになってきてるから。だからこそ、自分の子どもに対しても、この子が大きくなったときの未来でも幸せに生きていってもらうために、「いま、何を伝えたらいいんだろう」って考えたとき、あらゆることに感謝できるようなマインドセットを自分が生きて、その姿を(子どもに)見せていければいいんだって。言葉とかを超えて学び取ってくれることはたくさんあると思うし、自分の仲間やファンの方々、世の中にもメッセージできるんじゃないかなと、そう思ってます。

誰のせいにもせずに“いま、この瞬間”を生きる

AK

洋介さんの周りには、お仕事も家族も、たくさんの方々がいますよね。判断するときに、その方々のことまで配慮して本来の自分の意思ではない選択をすることはないんですか。

Y.Kubozuka

なくはないと思うけど、でもそのときも別に誰かのせいになるわけでもなく、時代のせいになるわけでもない。どうしても何かのせいにしたいんだったら星のせいにするぐらいの感じで。結局、言うても全て自業自得だと思うから、良いことも悪いことも自分でまいた種だから良い種をまいてれば良い収穫があるし、悪い種をまいてればそれを自分で刈り取らなきゃいけない。
そうやって誰のせいにもせずに“いま、この瞬間”を生きる。誰のせいにもしないってことは絶対に何かしらの成長の種や、喜びの種が自分自身にやってくると思うし、そういうふうにいたいなというか。
矢印が全部自分に向いてる必要はないけど、少なくともその中の1本ぐらいは自分に向いてる矢印がないと。“自分らしく生きていく”ってことを考えたとき、好きなように生きてれば自分らしいのかっていうと、なんかそんな単純なことでもないのかなっていうか、俺はどこかでバランスだと思ってて。なんだかんだいって最後は絶対バランスだなって思う。自分自身を大切にすることと、自分以外の人やものを大切にすることのバランスで、自分らしさができていると思う。
好き勝手やってるように見えるかもしんれないけど、そこには明らかに“自分のバランス感覚”がある。いろんなことやってるけぞど、全部want toでやっていることだから。我慢したり、至らなかったことやできなかったこともたくさんあるけど、そういうのもひっくるめて、それすらも楽しんでいられてるっていう気がしますね。

AK

最初にインタビューさせてもらった時に「ピンチはチャンス」って話してくれたのが印象的で。今もそう思っていますか。

Y.Kubozuka

ピンチはチャンスから、いまは「ピンチはインビテーション」になってきてるっていうか。さっきの話と少し重複しちゃうけど、やばいこととか悪いことって、その度合いが大きければ大きいほど、ギフトとして返ってくるものが大きいから。そこで腐ったり諦めたりしなければ「喜びの種」として戻ってくると思うから、七転び八起きでいいんじゃないかなと思う。大失敗したやつは大成功するけど、失敗してないやつは成功もしにくいって、実際そうだと思うから。
(山本)KIDくんがよく言ってたんだけど、彼は負けた試合ばっかり観るんだって。勝った試合は勝利の理由がわかっているけど、負けた試合は負けた理由があって、それを知れば次にもっと強い自分になるっていう意味で。
そう考えても失敗は成功の母だし、NO RAIN, NO RAINBOWだから。そう思えれば、何かトライすることも怖くないし、しかも結果を求めなければ、トライできてること自体がギフトなんだって自分のマインドセットができればいいんじゃないかなと思ってる。

AK

ということはゴールを目指して生きるというよりも、“楽しいの積み重ね”で生きるってことですね。

Y.Kubozuka

俺はあんまり目標すら設定しないでここまで来てるから、いつゴールが来るかすらわからない。今日が最後の日っていう感覚で。でも遊び尽くすとかじゃなくて、人生何があるかわからないから、今日が最後になるかもしれないじゃんってこと。だからそのつもりで生きてればいいんじゃないかなと思います。

AK

人生の中で、大小含めて様々な選択をしてきたと思うんですけど、その基準も自分と周りが良い環境になるために、というところが拠り所なのでしょうか。

Y.Kubozuka

うん。
でも、本当は大きい扉とかなくて、ちっちゃい扉が集まって大きい扉って感じることはあっても、1枚の大きい扉ってあったのかなって思うと、どうなのかなっていう気がしてる。そこに至るまでのちっちゃい扉はあらゆる瞬間にあって、それを自分らしく開けてきた結果、いま真紀子ちゃんが言ったような“大きい扉”を開けたように人からは見えるかもしれないけど、そこに至るまでに小さな扉は無数に開けてきてるだけなんじゃないっていう気もする。

優劣つけるのではなく、みんなに敬意を払う。みんな同じ船の乗組員だから

AK

私が洋介さんと対話していて感じることの一つに、洋介さんは周囲に対する礼儀をとても大事にされているなということがあるんですが、それは意識されているのでしょうか。

Y.Kubozuka

こういう現場で言えば、アシスタントとかスタジオマンの方々も含めてみんな同じ船の乗組員で一緒に航海している。
役割分担が違うだけであって、誰が偉いとか偉くないっていう価値観は無駄だしいらないことだと思うんですよ。写真を撮ってくれる人、写真を撮られる人、プロデュースしてる人っていう役割分担があるだけなのに、それを履き違えて役者が偉いってなるのは違う。
例えば暑い日や雨の日に傘をさしてもらうのは、自分が偉いからだって思うのは勘違い。各々役割があって、スムーズに現場が行くためにそうしてもらってるだけで、汗をかいたら、拭く時間をみんなが待たなきゃいけないし、雨に濡れたら衣装が濡れてしまうからっていう理由なだけ。それを履き違えて人に優劣を付け出したりすると、なんていうかな…さっき言った“喜び”だったり、“成長の種”がすごく小さな弱いものになっていって、収穫できないことになるんだと思うから。
それがもったいないから、みんなに敬意を払って、みんな同じ乗組員だっていう捉え方をしている。でも自分自身の幸せになりたいという“強欲”の裏返しで、ポーズとしてそうしているというわけでもなくて、本心からなんだけど。「誰かのために=自分のために」ってなると思うし、実際なってるから。

宇宙の理に身を委ねて生きていく

AK

なるほど。さらに言うと、洋介さんは人だけじゃなくて神様や自然も大事にしているイメージがありますが、それも同じ理由でしょうか。

Y.Kubozuka

最近、遠藤周作さんの『深い河』という本を読んでいて。美津子という主人公が学生時代に、大津という生まれたときからずっとキリスト教で、なぜ神様を信じているかすらわからなかった友人に信仰を捨てるように言った過去があるんだけど、何十年後かに大津と再会して「あんたまだ本当にいるかもわかんないようなものを信じてんの」って言ったときに、大津が「その僕をここに導く“神様”っていうのはいないけれども、この世の中の働き自体が、神様なんだと思う」ということを言っていたのが印象的で。本には「それを神様と呼ぶ必要はなくて、玉ねぎって呼んでもいい」みたいな描写があるんだけど。
別に神様のことをうんこって呼んでもいいし、宇宙って言ってもいいんだけど、圧倒的に我々を支配していいる…法則というか宇宙の理(ことわり)、真理みたいなものっていうのが「それ」なんだって、俺も昔から思ってることで。
「それ」は何教でもよくって、石を崇める人もいれば、両親を神のように思う人もいたり、キリストやブッダを神と思う人もいる。つまり、神とかもう何でもよくて、結局みんなハッピーになりたいから、何かを信じたり、すがったり、恨んだりするわけじゃん。
登ってる山は一緒で、富士登山でいえば吉田口から登ろうが、須走口から登ろうが、てっぺんにはたどり着くわけだから。要はそこへの行き方のが違うだけで。そう考えたら、みんな同じものを求めてるんだなって。
宇宙の理、ルールはやっぱりあるわけで、そこから逸脱できる人っていうのはいないと思うんだよ。もはや、みんな「それ」のルールの中に生まれたときからもう組み込まれてる。ここからはどうしても脱出できないっていうのが、いわゆる神の働きだと思うんで、まぁ「それ」を何て呼んでもいいんだけど。

AK

天命みたいなことでも言い表せるかもしれないですけど、「それ」に抗おうとすると、結構窮屈になってくるなっていう実感があって、反対に「それ」に身を任せてると不思議と色々とスムーズにいく感じがあったり。

Y.Kubozuka

うん。かといって踏ん張らなくていいのかっていうとそういうわけじゃないかもしれないけど、さっき真紀子ちゃんが言ったように、身を委ねてるっていうのはすごいあるよね。流れのままにっていうか。

AK

航海で言うと、「それ」を読んで帆を張って進んでいくみたいな。

Y.Kubozuka

例えば、この間まで決まってた台湾での撮影がある事がきっかけでなくなっちゃったんだけど、「そうなんだ、やらない方が良かったんだ」って思えるというか。20代の頃はそういうことがあったら結構引きずってたけど、意識的に全部ポジティブなこととして捉える癖をつけていったら、瞬発的に無意識のうちにポジティブに判断できるようになってきてて。考え方はトレーニングできるなって思った。
電車に乗り遅れても、「そうか乗り遅れるべきだったんだ」って。それで遅刻して「遅れるべきだったんですよ」って開き直るわけじゃなく、もちろん相手にちゃんと謝る。でも謝ってでも、「自分にとってそっちの方が良かったんだ。世界はそういうふうに完璧にできてるんだ」って捉えてる。

AK

そうすると余計なストレスもなくなりそうですね。

Y.Kubozuka

一見、駄目なことも、自分の中で完結してなくても、もっと大きい目線で見たら、それで完璧なんですよっていうね。そう思えれば、失敗しようが、結果が出なかろうが、どうでもいいっていうか。結果が出たらもちろん嬉しいけど、でも結果にとらわれなくなる。出たサイコロの目がベストの賽の目っていつも思ってるから。

AK

全てには意味があるということですね。さっき台湾の話が出ましたけど、洋介さんは仕事も含め、海外でも大航海されていますよね。海外で学ぶことってやっぱり多いですか。

Y.Kubozuka

そうですね。ただそこで生まれ育っているわけじゃないからその国の真髄みたいなものはわかってないとは思う。
例えばアメリカ人はアメリカ人のカルチャーがあるし、逆に向こうから見たら神を持たない日本人とか、ノーと言えない日本人みたいな日本人の見え方っていうのがあったりするし。
でも改めて、やっぱりこの国で生まれ育ってる人たちって成熟してる人たちは多いと思う。
気遣いだったりとか、それこそ「気」っていうものを漢字で表してきた人たちだから。天気、元気、陰気、陽気、人気とか。目に見えないものをシンボルの一文字にとして捉えてきたのが日本人。見えないものを見て形にしているというか。
そういう意味で、日本人は成熟してる魂を持ってると思ってる。ここから先、ますます世界が混迷を迎えて、天変地異だったり戦争だったり、疫病だったり、悲惨な“コト”はたくさんあるかもしれないけど、でもそうなったときこそ、我々(日本人)の力が世界の人たちを導く―って言うと偉そうだけど―メッセージできるアティチュードはたくさんあると思う。
そのために、いま、準備をしてる…っていうと大げさだけど、「この瞬間をしっかり暮らしてる」って実感できたら、より良い自分とより良い世界にんなるんじゃないかなっていうのは思いますね。

AK

最後に窪塚さんがこれから挑戦したい航海をきかせてください。

Y.Kubozuka

実はいま色々控えていて。お酒を出すのと、また書籍を出すのと…あと海外で撮った作品が来年配信になったり。それら一つひとつを丁寧に楽しみながら世の中に出していけたらなと思います。

「いまの人生はギフト」「失敗は次へのインビテーション」

彼はサラッと口にするが、常に意識して生きていくのは容易ではない。

日々学んで、考えて、自分を磨き続けている人が言える言葉なんだと思う。

もっともっと気持ちよく生きるためには、心を研ぎ澄まして、大きなエネルギーの流れに敏感なって…そうすれば、どんな荒波だってふわりと乗りこなせるくらいに柔軟におおらかになれるはず。

窮すると視野が狭くなりがちだが、窮したときこそ、いま生きていることに感謝して、大きな視野をもつこと。

自分の羅針盤を信じること。

今回も大切なことに気がつかされた。

窪塚 洋介 (Yosuke Kubozuka)

1979年5月7日生まれ。神奈川県横須賀市出身。

 

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