Interview/ text: Makiko Yamamoto
Photo: Taro Washio
Video: Hiro Mitsuzuka
Music: Mahbieman
Location: Atelier of Keisuke Itagaki
たくさんの本が積み重なった先生のアトリエで目についた一冊の本。
林真理子著「野心のすすめ」は私(編集長山本)も以前読んで気になっていた本だった。
今回はその一冊をキッカケとし、展開されたインタビューである。
Q1989年のデビューから現在まで30年にわたって漫画家として第一線に立ち続けている先生ですが、その道中にはたくさんの切磋琢磨があったことと思います。常に“野心”を持ち続けていらっしゃったんですか。
A俺は30歳のときに小池一夫先生主催の「劇画村塾」に参加した。60数名いた中で競うという事になって。その中にはプロも何人かいて、暴れるには最高の場所だったんだよ。
「ここでトップ取れば間違いなく、プロへの道が開けるんだろう」って張り切ってたからね。だからコイツに負けたなとかいう感覚を持ったことがなかったな。
ほとんどが歳下で俺が年長2番目だったんだよな。最年長は登山家で原作者になろうとしていたんだけど、そんなのは全然敵だと思っていなかった。あと最年少で18歳が1人いたな。他はみんな20代前半だったよ。みんな燃えててすごかったよ。
だけどまぁ大したことはない。
努力は相当してたよ。「キャラクターを1日に3個描け」と塾頭が我々にそうやってキャラクター作りを教えてくれてたんだけど、俺は10個以上描いてた。
負けるはずがないなと敵意むき出しでやってた。だって、ミスれなかったからな。25歳で漫画を志して独学で始めて、もう30歳になっていたから。
30歳になってまで「何か目指してます」なんて恥ずかしくて言えないわって思ってた。
Q林先生の「野心のすすめ」では先生はどんなところに共感されたんですか。
Aご自身が勤め人で、もう安定した地位を確立していて、本人もそこに不満なく日常を過ごしている時に、思ってもいないタイミングで共に学んでいた仲間が賞を獲ったかで世間の注目を浴びたんだ。(本の中に)「それを知り、居ても立ってもいられなくなった」というそういう件があって、それを読み脈拍が上がるようだった。
たぶんあの文脈からすると自分より下に見ていたというか、自分以上とは思ってなかったんだろうな。
その仲間が人知れず雌伏の時を経て、突如世間の注目を浴びたという瞬間の焦燥感はたまらんだろうなと思った。
Q林先生も作家としては遅咲きですよね。コピーライターとして、スーパーのチラシのコピーなどを書かれた後、糸井重里さんのところでキャリアを積まれて、作家へ転身されたという。
板垣先生と林先生の共通点って、他のキャリアを経ながら、焦りの中で無我夢中でトップを目指し、業界で安定のポジションになられたということかなと思うのですが、先生も若手漫画家などの下からのプレッシャーみたいなものは感じることはありますか?
A掲載誌では下から脅かされたとか、ひょっとして負けるんじゃないかと思った経験はあまりないな。
Qそうなんですね。林先生のような焦燥感を持ったわけではないが、理解はできると。
Aそう。もし自分がこの立場だったら間違いなく同じ感覚を持つだろうと。
そのときのダメージは自分で想像がつくからこそ、抜かれないような生き方をしてきたと思うんだ。
Q「野心」という言葉に話題を戻すと、自分の野心を吐露するっていうのは、なかなか出来ることではない気がします。自分に自信がないとなかなか言えない。
Aミスった時がな、こっ恥ずかしいからな。
でも当時の俺はそんな感じはなかったんだよ。ミスるとは思えなかったんだ。25歳から30歳まで5年間独学でやってきたわけじゃん。その間は自分に不向きなことばかりやってきた。
もっと言うとそれ以前の自衛隊では、徹底した管理の中で、とことん鍛えられた。不向きな事を!
でも漫画をやろうと決めた時、「これは向いてるわ、こっちこそが正解に違いない」という実感はあったんだ。ましてや30歳で「劇画村塾」に入ってからは、いよいよ普通ではない才能を実感した。
Qそうやって確信を得られることに出会うことって人生に大きく影響しますよね。先生の言葉はいつもクリアで迷いがないというか、確固たるカッコ良さを感じます。先生には怖いことってありますか。
A一番怖いのは通用しなくなるということよ。必要とされなくなるということが最も怖いよ。実績がどうであれ、今現在の数字の前では言い訳が出来ない。
Qその恐怖を先生はどう捉えていらっしゃいますか。
A活字の世界ではかなり歳を重ねてから傑作が生まれているという現実があり、映画界においてもクリント・イーストウッドなんて、もう老人なのにヒットを生み続けている。
俺は(漫画界で)そこに拘りたいなと。最年長のヒット作家でありたいと思っているから、守っているというより攻めている。攻めながらじゃなければ維持すらも出来ないんじゃないかと思ってる。
ちょっと努力してるくらいでやっと“維持”できるんじゃないか。(攻めるには)そこでもうひと勝負かけられるというか、そういう若さを持たないと、多分維持すら難しいと思う。
Qアイデアやエネルギーが枯渇することはないんですか。
Aなかったな。
毎年、年明けると怖いけどな。
年が明けると一つ歳が増えるわけで、いよいよ何も出ないんじゃないかという恐怖は上半期にはついてまわる。
(出るか出ないかは)年明けてすぐ作品を描いて分かることじゃなくて、何本か描かないと分かってこないことなんで。去年と変わらずか、あるいは伸びているのか、あるいは前のようなアイディアは出なくなってるのかとか、(分かるまでには)1シーズンくらいかかるから。
Qその間はその恐怖を読者に気がつかせないようにしないといけないですよね。
A衰えを隠し続けていこうっていうよりも、伸びていこうと思ってるから。
「やっぱり別格だなコイツ。全然違うわ」って思わせたいから。むしろ、そんな風に思われなくなるということに対する恐怖はある。
Qその感覚はいつ頃からですか。
A新人から、中堅になり、今やベテランというふうにキャリア重ねてからだよ。後輩達が増えてからの話で、最初は先輩達を追い落そうとしてたわけで。
Qではそんな先生の「野心」はやはり…。
Aそう、もっと伸びていく。ここでまた飛躍すること。
飛躍させたい。それやれば自分も周りも全部幸せにできるから。
Q己との戦いですね。
A一番の面白みだから、そこが。
「あぁこれイケてるな。通用してるな」と思えてる時がな。やっぱり数字で出るから、数字が伸びてると分かった時だよな。ごまかしがない。
Qそれって漫画を通して読者と対話されていることなんでしょうか。
Aそんな短いサイクルで分かってくることじゃなくて、一定の時間が必要なわけだよ。だから会話というよりは一方的なメッセージだな。「これはさすがにいいんじゃないの」って出すわけで。それがもう声ではなくてどれもが数字で表れるんで。
Q例えば数字が伸びなかったことって、過去にありますか。
Aあるあるある。
このシリーズ、これは落ちてきたなとか。やばいと感じたことはもちろんある。でも本当に売れなくなるって、ひどい数字になるわけで「これはさすがにマズイでしょ、会社が傾くぞ」というところまではないけどな。
Q落ちてきたときは焦りますよね。
Aもう口の中が乾くよ。ドキドキするよ。平気な顔しててもやべぇなと思うんだよ。
Qそれでも逃げずに向き合うんですね。
A会社だからな。スタッフ10人抱えて、彼らはほとんど家族持ちなわけで。もう子供もどんどんでかくなっているのに「頑張ってるんですけど……(ダメでした)」は言えないよ。数字を出さないと。
プロだから「頑張ってるんですけど伸びないんですよね」は言えないよ。
Q漫画の道を志されてから30年以上経たれてますけど、他のことをやりたいとか、漫画以外の職を考えたことはありますか。
Aそれはないよ。
銀行はマンションやコンビニとかを経営しないかとか、色々言ってきたけど、自分がプロになるまでに何をやってきたかは記憶に刻まれて、体で知ってるわけで、プロになるというのがどれくらいのものなのかを知ってるわけで、今更、大家のプロになるとかコンビニのプロになろうとはとても思わない。
それはもう上手いこと儲かっても嬉しくないと思う。投資とかギャンブル的なことは一切やらないんだ。
Qプロとしてプレイできる実業をやりたいと。
A厳密に言うと過去にギャンブルの経験もあるけど、俺全部勝ってるから。
競馬も1回で100万以上儲かったこともあるけど、その時は大喜びはするけど2回目やろうとは思わない。
海外に行ったときにギャンブルやって、結局旅費以上に儲かって帰ってきたこともあるけど、国内でやったことないもん。それで1億でも超えたら嬉しいのかもしれないけど、それでも続けようとは思わないな。
Q運や天に任せるのではなく、自分の力で得たいと。
A俺にとって20代で公務員(自衛隊)を辞めてこっちの世界にきたっていうのが、それが最大の大博打だったわけで。絶対勝てると思ったからやったんだけど、それだって客観的に見たら大変な勝負だったわけで。
プロの漫画家になって稼いで、逃げ切れるというのは一握りどころじゃないから、ほんとにひとつまみあるかどうかの勝負だったから、もう勝負としては十分でしょ。こんな博打は2回もやりたくないよ。
Qでもその博打に勝ってますもんね。
Aこれは勝った。逃げ切った。
Q勝つ法則が見えた?それとも努力の賜物でしょうか。
A全然。努力なんてみんなやってるもん。目指した以上は努力するよね。一生が懸かってるから、当たり前の話。
俺は努力したけど、もっと努力してる人間をいくらでも見てるから、それは関わってる人たちはみんなやってること。知り合った漫画家は全員努力してるわけで。俺が特別努力したとかそういうことじゃなくて、勘が良かったんだろうな。才能があったんだ、売るということに関してはな。
自分は芸術家ではないと思ってるから、漫画はアートじゃなくて商売だと思ってるから。そこらへんは堂々と発表してきてる。「商売だ」ってね。
俺が商売人だったんだろうな。良きサービスマンであろうと思ってるから。
Qすごく腑に落ちます。納得。
A嘘は言ってないんでね。
要は自分に向いてるかどうかで、向かない人が努力したら悲惨だよ。
よく例として挙げるのが、俺が白鵬の10倍努力したって横綱になれないどころか、プロの力士になれるわけがないんだよね。それは彼らの能力、フィジカル含めての天才だったからでしょ。幕内にいるってだけで天才だよ。
でも白鵬が俺の10倍努力して漫画家目指しても無理よ。売れない、多分。それは向き不向きよ。
「これはさすがに向いてるな」って見極めるというか、25歳まで生きてたらさすがに向き不向きは見えてくるんで。本当にお金持ちになるとしたら、他になかったんだ。「絶対これだったら、イケるな」と思うのは漫画以外にはなかった。
Qかっこいいですね。矢沢永吉さんの著書「成りあがり」を思い出すというか。
Aまさにそうだよ。俺は21歳の時に「成りあがり」を読んで、この生き方をするんだって決めたからこそ勝負に出たんだよ。
彼は「角のタバコ屋までキャデラックで行くんだよ」って、巻き舌で言うんだよ。
俺、「そういう、面倒くせぇことやりてぇ〜〜!!」と思ったのよ。7台の高級外車を買い、その日のクジで車を決める。「ほんとはベンツ乗りたかったけどポルシェに当たっちゃったよ」って言って、渋々今日はポルシェに乗るという、そういう落胆を味わってみたかったのよ(笑)。
Q全然落胆でもなんでもないですよね(笑)。
Aうん、でも俺はそういう嫌味な落胆をしてみたかったのよ。
「本当はこれじゃなかったよ、ごめんな」って同乗者に謝る。それで「アイツいい気なもんだ」と陰で言われたかったのよ。
Qでも実際にそれが出来るようになりましたよね。
A高級車2台持った時に乗る暇がなくて、しょっちゅうバッテリーが上がって…「あ、ダメだ。1台でいいや」って(笑)。
だから色々分かったよ。塾頭の小池先生から「軽井沢の別荘をあげる」と言われた時には即、断わった。(別荘なんて持ったら)絶対に行かなきゃいけねぇじゃん。それもしょっちゅう、月1くらいで行かないとマズイでしょ。これは間違いなく縛られる、多分クルーザーとかも全部それだよ。多分縛られる。
(クルーザーを持ったら)じゃあ海の上で描いてみようかとか始まるじゃない、すごく不自由だよそれ。だから(クルーザーなんてものは)多分年に2回くらいしか乗らなくてもいいやと思う人が持つもので、現役の人達なんてそんな暇ないんだよ。もうモノに縛られるということはそれで結論が出た。かっこいい車1台でいい。十分です。
Qそんな暇ないとおっしゃいましたが、休暇はないんですか。
Aあんまり欲しくないんだよ。担当編集者には「欲しい欲しい」と言うけど(笑)、半年間休むとか、豪華客船乗るとか、退屈する自信がめちゃめちゃあるもの。
毎日ショー観たり、船上でサーフィンとかやってるじゃん。あんなの3日で飽きる自信がある。実際に乗った漫画家の友人がいるけど、「板垣はやめた方がいい。絶対に飽きるから」って言われて、やっぱりなって。ああいうのにはまるで興味ない。
Qということは、先生にとって漫画は“労働”ではない?
Aいや、もう労働だよ。さすがに好きな道を歩んだって、やっぱりしんどいって。大谷翔平とか白鵬とか、井上尚弥とか天才がいるけど、重労働なはずだよ。
各々が好きな道だから、重労働と思うまで時間が掛かるけどな。俺で言ったら、朝から描き始めたら、やっぱり夕方以降じゃなかったらキツイとは思わないもの。「やっぱり描くことが好きだ。やっぱり上手いな俺」と思いながら描いてるのよ。
Qでもそれは何かを生み出す人や、スポーツ選手も同じで「俺、キレキレだ」と思いながら…ある種のナルシズムも必要というか。
A先ほども言ったけど、漫画家を目指したのは自分がこの道の才能を持ってると思ったからで、刃牙が始まる40ページに関して「革命的なモノを描いた!」と思ってたんだけど、でもつい最近読み返して「よくこれでそんなこと思ったよな」って。「これのどこが天才だよ!?」というくらいにひどいと思うよ。
無根拠な自信、ナルシズム……これはね実は必要ですよ。多分そうやって生まれた傑作は沢山あると思う。そんな感じだと思う、この業界は。
Qそうですよね。今、当初の40ページを見てウットリしてるようだったら、自分は成長していないということですよね。
Aうん、ダメになる作家さんの話を直接聞いてるけど、過去のものをみて「何でこれが描けたか分からない」って言ってる。もう過去の自分を見上げちゃってるんだよ。これはダメだ。
だから休んだりするとそれが起こるのよ。あれはおっかない。描く機能が落ちてる。
Q私はテニスをしていたんですが、ずっとラケット持たないと上手くボールに当たらなくなるという感覚があって。
Aうーん、俺はラケット持ったことないけど似てるんだと思うよ。
さっき言ったように、毎日キャラクターを10個描く。あれは当時のデビュー前からしてみたらロードワークだった。一番地味だろうけど、俺は面白かった。やっぱり上手くなってるという感覚があったので。そういうのも好きだった。
Qそれで言うと、自衛隊の訓練やボクシングもロードワークの積み重ねですよね。
A俺も16歳から武術を始めたんだけど、それまで丸っきりやってなかったことだから、「こうやって上達していくんだ」ということを実感していってたんで、やり続ければ上がっていくんだというのは自分の信仰心に近いくらいに信じられたことなんだ。
そのやり方で、ましてや自分に向いているこの道(漫画)で努力したら、それは飛躍できるだろうと。無根拠に思ったね。
Qまさにアドベンチャーですね。
Aうん、面白かった。25歳から始めて、面白くなったのは30歳からだな。これは本当に夢が見えた。「あの日のあの瞬間からだ」っていうくらい覚えてる。「俺はイケる!」って思えた瞬間。
それまでの5年間は結果的に大した時間ではないけど、「いつまで続くか分からない……」という5年間だったから、その時の不安はよく覚えてる。でもやっぱり作る側の人間だと思えたこともよく覚えてるんだ。
Q先生はこれからもずっと描き続けられる。
Aまぁ俺はそれしかないから。もう転職はないから。
俺はこっちだと思ったわけで、自分の人生とか才能と向き合っていれば、さすがにこのジャンルに関しては、抜きん出ている、あるいは抜きん出られそう、という感覚は持つと思うよ。
ボーっとしていない限り大丈夫だよ。世の中全員が“何かの専門家”というのが一番の理想だと思ってる。自分が何の専門家なのか、何者なのかということに絶えず向き合っていく。絶えず検証していく。
そうして油断なく生きていけば流れ星が消える前に願い事言えますよ。俺、あの伝説はホントだと思ってるから、そのくらいチャンスを逃さないように生きていこうと思ってたら、目の前にきたチャンスなんてたちどころに気付くと思うし。のし上がる足がかりになるものが目の前に現れて逃しているようじゃ、流れ星が消える前に願い事なんて思い出せないよ。でも油断なく生きていれば見つけられる。そういうことだね。
自分が向いているものを見極める、そして、油断なく生きる。
対話をしているうちに、私にとって、漫画家 板垣恵介はまるでアスリート、しかもオリンピック選手のようなトップアスリートにみえてならなかった。
“プロ”はどうあるべきか、漫画界で頂点をとるにはどうすればいいか、先生の深い知性と感性、それに同居しているシンプルで純粋な魂をひしと感じたインタビューとなった。
ADVENTURE KING 板垣恵介
<Profile>板垣恵介
1957年北海道釧路市出身
代表作は「グラップラー刃牙」シリーズ、「餓狼伝」など。
現在、週刊少年チャンピオン(秋田書店)にて「バキ道」連載中。