INTERVIEW

Robert Harris

奔放不羈な元祖・冒険野郎

Qロバートさんは若いころから旅をしていたんですか。
A初めて海外へ行ったのは高校を卒業してすぐ。ロシアから北欧へ行き、ヨーロッパを縦断し、中東を経てインドまで行きました。インドでは下痢をして、コルカタに着いたころには治ったんだけど、まだ体が弱っていて、救世軍のホステルでのんびりしていました。このホステルには庭があって、猿がいっぱい木の上で遊んでいて、ぼくはここでよくくつろいでいたんですよね。庭のデスクには雑誌が山積みになっていて、その中のナショナル・ジオグラフィックっていう雑誌を開いたら、大学の時に自分がやりたい冒険を100書いて、それを全て達成した60代の冒険家の記事が載っていたんです。アマゾン川を筏で下るとか、デス・バレーを歩いて縦断するとか、そういうものだったんだけど、彼はそれを40年かけて全て達成したんですね。これはすごいなと思って、ぼくもやりたいことはいっぱいあったから「じゃあ、ぼくなりの100のやりたいことリストを書いてみよう」って思ったんです。でも、100書くって大変なんですよ。完成させるのに一週間くらいかかりましたね。30くらいまでは書けるんだけど、そこからが進まない。じゃあもっと細分化しないとダメだなと思って。例えば「世界を旅する」じゃダメなんです。「どこに行って何をしたいか」とか書かないとね。「チベットでラマ僧と酒を飲んで酔っ払う」とか「ガンジス川で沐浴する」とか「カトマンスのポタラを一周する」とか「アトラス山脈を車で越える」とかね。もちろん、旅だけじゃなくて、他にもいろんなやりたいことを書きました。武道の黒帯を取るとか、大学を卒業するまでに1000冊の本を読むとか、いつかどこかでボヘミアンなブックショップを経営するとか、南の島で放浪者たちの集うバーを開くとか、人妻と恋をするとか、自伝を書くとか、映画で殺し屋を演じるとか、いっぱい書いたんですよ。あと色んな小説を書くとかね。このリストを読んで思ったのは、「俺、サラリーマン無理だな」ってこと。本当に自分のやりたい事をリストアップしていくと、自分の方向性のようなものが見えてくるんですよね。でも、もちろん、先のことは分からない。だからこれから大学に行って、もし例え仮に就職しても人生のスパイスになる100のやりたい事をやっていけばいいじゃんと思いました。そんな中、ぼくが日本に帰って最初に叶えた夢が「ファッションモデルと付き合う」でした。さっそく、リストにチェックを入れましたね(笑)。でも、このリスト、日々の生活をしていると、その存在自体を忘れちゃうことがあるんですよね。そして、思い出して見てみると5つくらい叶ってることがある。きっと夢を書くことによってぼくの潜在意識にその思いが沈殿して行ったんでしょうね。あと、願いが言霊となって宇宙に放たれたのかもしれない。とにかく、ぼくは今までに100のうちの80個くらいの夢を叶えました。バリ島でカフェ、バー、レストランを経営したり、シドニーでブックショップを開いたり、自伝を書いたり、色々やりました。離婚するって書いたら2回しちゃいましたけどね。悪い事は絶対に書いちゃいけないですね、実現するから(笑)。アーネスト・ヘミングウェイの著書に「作家は離婚は1回して、刑務所に1回入って、同性とSexをしないとダメだ」とか書いてあってそれを鵜呑みにしちゃって、いつか刑務所に入りたいなと思ったら本当に入っちゃ
いました(笑)。
Qえ(笑)! それはどこで入ったんですか。
Aオーストラリアで。駐禁の支払いが2500ドルくらい溜まってて、払わなかったんですよ。ある日ぼくの仕事場に警察官がいて、今すぐ払えるかって言われて払えるわけねーだろって言ったら、じゃあ警察署まで来てくれってなって連れて行かれて。「君の1番高い罰金が50ドルだから3日刑務所に入ればチャラになる、前科もつかない」ってね。「どこに入るのか」って聞いたら「一般の刑務所」っていうから「これはいつか本に書けるな」と思って、「全部チャラになるなら入るよ」って感じで入ったんですよね。
それで面白かったのがまず警察署に1泊して、君、何食べたい?て言われて中華をテイクアウトしてくれて、次の日に「この人と付き合いたい!」と思うくらい美しい女警官が手錠しに来てくれて護送車に乗せられるんですよ。
Q「手錠しにきてくれて」って(笑)。よほどお綺麗だったんですね(笑)。
Aそうそう(笑)。それで護送車に乗って、連行された奴らを集めに各警察署を回るんです。この警察署で1人、別の警察署でまた1人ってね。すごい人相の悪い奴が乗せられてきたので「何したの?」って聞いたら「銃で強盗して、5年間くらった」って。また次の警察署で顔中タトゥーの男が乗ってきて「何したの?」って聞いたらたら「銃でコンビニ襲って5年くらった」って。
「なるほど、銃での強盗の相場は5年なんだな」と思いながら乗っていたら、そいつが靴からマリワナのジョイントを出すんですよ。「吸おうぜ」って言って女性警官にライターを借りようとするんです。そしたら女性警官は「しょうがないわね」って貸しくれて、みんなで回して吸ったんですけど、それがすごい強い奴で、ぼくたち、腹抱えて笑いながら刑務所に入って行ったんですよ。
Q女性警官は怒ったりしないんですね。
Aもう、勝手にしたらって感じでした。その刑務所には監房が大きなグラウンドを囲んで並んでいて、マッチョな男たちが当時流行っていたマイケル・ジャクソンの「スリラー」を聞きながらウェイト・トレーニングとかやっているんですよ。監房は全て二人一部屋なので、「ルームメートが男好きのマッチョだったらどうしよう」と思って入ったら、ぼくが入れられた部屋の中にはレコードプレーヤーもあれば、テレビもあるし、冷蔵庫もある。すごい良い部屋だったんですよね。
Qそんないい環境になんですね!
Aそういう贅沢品も刑務所の中で買えるんですよ。しばらくするとスペイン語しか話せないコロンビア人が入ってきて、彼がルームメイトでした。監房は夜の6時に外からロックされてしまうんですよ。彼とはぼくのブロークンなスペイン語で話して仲良くなりました。彼、「俺は無実の罪で捕まってて、コカインのディーラーって思われてるけど違うんだ」ってさかんに言ってました。でも、同じ息で、「でもね。コロンビアに行ったら俺の親父がディーラーだからなん何でも手に入るよ」って自慢するんですよね。「お前、絶対クロだわ(笑)」って思いながら話聞いてましたね。でも彼、すごく良くしてくれて、夜中にトーストのサンドウィッチを作ってくれたり、一緒にテレビをずっと観たり。楽しかったですね(笑)。
刑務所のグラウンドには陸上が出来るトラックが引かれているんですが、みんなそこを一定のペースで時計回りに歩くんですよ。「どうして歩きながら話してるの?」って聞くと、「そうしないと頭がおかしくなるから」って言うんですよ。毎日ボーっとしてるのがダメなんだ、だから歩きながら話すと自分はどこかへ行くような達成感があるんだって。
バカじゃないのって思ってたんだけど、気が付いたらぼくもグルグル歩きながら話してました(笑)。
自由時間にはライブラリーの奥のゲームルームで時間を潰していました。そこには人相の悪い男たちがバックギャモンをやってるんですね。
ぼく、当時はシドニーのバックギャモン協会のメンバーで、結構強かったんですね。トーナメントなどに出たりして。で、彼らのゲームを見てたら、呆れるぐらい下手くそだったんですよ。だから後ろから「そこはこうしたほうが絶対いいよ」って言ったら、「お前誰だ!」って言うから「俺はオーストラリアのバックギャモン協会のメンバーだ。結構強いんだぜ」って答えたんです。そしたら「そうか、じゃぁ教えてくれ」って。それで2日間ずっと教えてあげて、ぼくが出所するときには門までみんなが来てくれて、「先生、また帰ってきてね!」だって(笑)。どこへ行っても友達は出来るんだなと思いましたね。
Qものすごい交友関係ですよね(笑)。
Aいい経験でしたね。
Qそんなロバートさん、旅をしていて騙されたりとかはあったんですか。
A騙されたことはほとんどないですね。人を見る目は結構あると思っています。
バリ島にいたとき、ぼくが常宿にしてるところで、シャワーを浴びているる間に100万円入ったバッグを盗まれてたってのはありましたね。そのぐらいかな。
危険な目にあったこともありますよ。高校卒業して旅した時に、「ヤらせろ」って迫ってくる男に二人ほど会ったこと。
それと、アフガニスタンのヘラトっていう街で、旅の途中で出会ったドイツ人の男と迷路のような市場にあるシシカバブのお店に入ったときのこと。食べ終わってお金を払おうとしたら、最初に言われたお代の倍の金額を請求してきたんですね。「何言ってんだよ。そんなの払うはずねえだろ』ってことになって、睨み合いが続いたんです。そのうち、業を煮やしたドイツ人が護身用に持っていた大きなナイフを取り出して、アフガン人の店主に見せつけたんですね。そしたらその店主が怒っちゃって、キッチンに入ったと思ったらアシスタント3人と出刃庖丁を持って出てきたんですよ(笑)。「やばい!逃げろ」って2人で逃げて、途中、二手に分かれたんですけど、みんなぼくの後を追いかけてきて、やばかったです。幸いぼくは足が速かったんで、なんとか逃げおおせました。でも、道に迷ってしまって、ホテルにたどり着くまで2時間もかかっちゃいましたね。それが一番怖かった経験ですね。本当に死にもの狂いで走ったな、あの時は。
Qすごいですね~。ところで日本のヒッピーの先駆け的存在のハリスさん、様々な冒険をされていると思うのですが、やっぱ昔の若者と今の若者って違うと思いますか。
A違いますね。昔の方が経済的に上向きで、希望に満ちた社会だったじゃないですか。高度経済成長期で、ヤンチャやっても大丈夫だっていう雰囲気があったんですよ。学生運動に走っている奴もいたし、フーテンっていうか、和製ヒッピーもいたし、そういう中であんまり考えないで世界に飛び出しちゃった奴も多かったんですよ。だからぼくも世界へ飛び出すことができたしね。今の若者ってとっても真面目で、思慮深くて、どちらかというと保守的で、小さな土俵の中で勝負していってもいいじゃあないかっていうスタンスで生きている人が多いですよね。そういう意味ではぼくの若い頃とは全然違いますよね。でも、もっと殻を破って暴れたい、冒険したいって思っている若者も多々いると思うんですよ。そういう人がぼくの本を読んで、それに触発されて、旅に出たりするんですよね。ぼくはそんな彼らにエールを送りたいですね。いっぱい暴れろよ、人生を謳歌しろよって。
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Q世界に飛び出すって勇気がいりますよね。
Aそうですね。ぼく、高校2年の時に初恋をしたんです。大恋愛でした。でも、そのぐらいの年齢の男の子って純粋でナイーブじゃないですか。相手の女性はぼくよりはるかに恋愛に長けていて、ぼくはすぐにメロメロになって、彼女の手の内で転がされるようになってしまいました。。ぼくが追いかけるほど彼女は離れていくんですよね。当時のぼくは家から20分ほどのところにあった横浜のセント・ジョセフ・カレッジっていう高校に通っていて、彼女は調布のアメリカン・スクール・イン・ジャパン(ASIJ)に通っていたんですけど、お互いの距離がありすぎた。だからぼくは彼女のために転校したんですよ。毎日一緒にいれば彼女はまたぼくの方に目を向けてくれるだろうと思って。転校先は家から1時間半かかるから朝早く起きなきゃいけないんだけど、彼女の心をもう一度勝ち取れるんだったら何をしてもいいやと思って。でも転校したその日に振られちゃいました(笑)。「なんだよ、学校まで変えたのに」と思ったけど、転校先は男女共学だったので、そのあとの2年間は天国でしたね。それまで通っていたのは男子校だったので。
Q女性に関する本を出されているロバートさんの最初の一歩は苦く終わったんですね。
Aそうですね(笑)。3ヶ月くらい傷心しましたね。街をひとりでとぼとぼと徘徊したり、酒を飲んでは女の子の肩を借りて泣いたりして。先日、ぼくを振った女性から50年振りにメールが来ました。「私のこと覚えてる?」って今の写真と一緒に。「見なきゃ良かった」って思いましたね(笑)。「俺の美しい記憶が~」みたいなね(笑)。
でも、振られた経験を通して色んな事を学びましたよ。駆け引きじゃないですけど、恋愛の過程では、自分の気持ちを小出しにしないといけない時もあるんだなって。相手に愛情の押し売りをしてはダメだなって。あと、フラれた後、傷つくのはもう嫌だなって思って、女の子と付き合ったりしても以前ほど心を開かなくなった時期がありました。
その時のぼくのテーマソングがローリング・ストーンズの「ハート・オブ・ストーン」でした。「これから俺は女性に対して石のハートで望むぞ」みたいなね(笑)。
今思うとそのときの自分が一番バカでしたね。1年間くらい石のハートを貫いていたんですけど、得るものは何もなかったですね。その間、3人のとっても心の優しい女性と付き合ったんですけど、上手くいかなかったですね。ぼくが心を閉ざしていたので。やはりハートが石だといけないんですね(笑)。
Qでもそうやって一つ一つ経験を積み重ねてきてるんですね。
Aそうですね、学んでいくんですよね、人間て。あんまり考えすぎるとやりたい事が出来なくなっちゃうんで、たまにはえいやっと目の前の状況の中に飛び込んで行ってもいいと思うんですよね。責任は自分で取ればいいんだから。無くすものはあまりないし。
なんか人間関係が崩れたらどうしようとか思って身を引いてしまうのはダメですよね。関係を持つ前に怖気付いてどうするのって思いますよね。火傷するくらいの恋をしないと一人前の人間じゃないと。
Q確かに! それでは今の若者にメッセージを。
A暴れろって言いたいですね。せっかく生まれたんだから暴れなきゃ損ですよ。そして人生を思いっきり楽しむことですよ。今の若い人を見ていると、自分で限界とか枠を作っちゃって、これが現実の社会なんだって思いこんで、その小さな世界を自分の中に内包しちゃっている人がとっても多い気がするんですよね。その限られた中で生きようとするからやることが小さくなっちゃったり、やたら自主規制したりする人が増えていて。優しくて繊細で、真面目な若者が多いんだけど、もっと堂々と人生に向かって行ってほしいなと思いますね。恋するのもなんか当たり障らず的な、あんまり深入りしちゃうと傷付くのも嫌だし、傷付けるのも嫌だしみたいな。せっかく生まれてきたんだから、もっと人生を謳歌して、恋にもどんどん溺れていって、火傷した方がいいですよ。

プロフィール
ロバート・ハリス
作家/DJ 1948年横浜市出身
上智大学卒業後、1971年に東南アジアを放浪。バリ島に1年間滞在後、オーストラリアに渡り、延べ16年間滞在。シドニーにてブックショップ&画廊”EXILES”(エグザイルス)を経営。
オーストラリア国営テレビ局で日本映画の英語字幕を担当した後、テレビ映画製作に参加、帰国後FMステーションJ-WAVEのナビゲーター(DJ)や、作家として活躍中。
著書に『エグザイルス 放浪者たち』(講談社)、『ワイルドサイドを歩け』(講談社)、『人生100のリスト』(講談社)、『WOMEN ぼくが愛した女性たちの話』(晶文社)他多数

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