OVERSEAS

Gastronomy in Madrid Vol.2

都市と大地が紡ぐワインの物語

今回のマドリード滞在で、あらためて驚かされたのが、この都市を取り囲むワインの存在感。
首都マドリードは、ガストロノミーや文化の中心地として語られることが多い一方、ワイン産地としての印象は決して強くない。しかし実際に足を運び、畑を見て、造り手の言葉に耳を傾け、グラスを重ねるにつれ、その認識は大きく覆された。

マドリード近郊には、小規模ながらも明確な哲学を持つワイナリーが点在し、声高に主張することなく、サステナブルで誠実なワイン造りが続けられている。大量生産とは無縁で、土地と向き合いブドウと対話する姿勢が味わいの隅々にまで反映されているのが印象的だった。

市場やレストランで供される料理と同様に、マドリードのワインもまた、日常の延長線上にありながら、驚くほど完成度が高い。そして何よりその多くが現地でしか出会えないという事実が、この土地を訪れる理由を強くする。

本稿では、マドリード・ワインの全体像とその特徴を概観しながら、今回訪問したワイナリーのひとつを通して、この地が秘めるワインの魅力を掘り下げていく。

Text, Photo: Makiko Yamamoto

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マドリード、知られざるワイン産地の成熟

マドリードは、ヨーロッパ有数の美食都市としてその名を知られる一方、ワインの産地として語られる機会は決して多くない。しかし都市を取り囲む大地に目を向ければ、そこには長い歴史と独自のテロワールを備えた、確かなワイン文化が息づいていた。

ローマ時代にまで遡るブドウ栽培の痕跡、そして中世にはすでに日常の飲み物として根付いていたワイン造り。これらの流れを受け、2003年に原産地呼称Vinos de Madridが制定された。現在、マドリード州内にはおよそ50前後のワイナリーが点在し、生産規模こそ小さいものの、多様性と質において注目すべき進化を遂げているという。

マドリード・ワインの特徴

マドリードのワインを語る上で欠かせないのが、大陸性気候と標高の高さである。夏は乾燥し、日照量が多く、冬は冷涼。標高500〜900mを超える畑も珍しくなく、昼夜の寒暖差がブドウに明確な酸と凝縮感をもたらしている。

土壌は花崗岩、砂質、礫質が中心で、ミネラル感に富む味わいが特徴的だ。主要品種は赤ではガルナチャ、白ではアルビーリョ・レアル。いずれも近年、改めて評価が高まり、マドリードらしいワインの輪郭を形づくる。

加えて特筆すべきは、サステナブルかつビオロジックなアプローチ。多くの生産者が声高に主張することなく、有機栽培や低介入醸造、手摘み収穫を実践している。これはトレンドではなく、土地条件と小規模生産という現実に根差した、必然的な選択と言えよう。

Las Moradas de San Martín

マドリード・ワインの現在地を象徴するワイナリーとして、ラス・モラダス・デ・サン・マルティンは際立った存在感を放つ。
シエラ・デ・グレドス山麓、標高約870mに位置するこのワイナリーは、1999年の設立以来、マドリードのテロワールを静かに、しかし確実に世界へと伝えてきた。

畑は花崗岩由来の砂と礫を含む土壌に広がり、灌漑を行わない乾燥栽培が基本である。低収量ながら、果実は凝縮度が高く、輪郭の明確な味わいを備える。
有機栽培認証を取得し、収穫はすべて手作業。発酵は自然酵母を用い、清澄・濾過を最小限に抑えることで、ブドウと土地の個性を余すことなく表現する。

女性醸造家が導く繊細さ

このワイナリーを率いるのは、女性醸造家Isabel Galindo(イサベル・ガリンド)である。
彼女のワインは、力強さよりも緊張感と精度を重視し、区画ごとの違いを丁寧に描き分ける。最小限の介入で最大限の表現を引き出すそのスタイルは、マドリード・ワインの成熟を体現している。

そしてラス・モラダスの核心にあるのは、ワインと文学の対話だ。
ワインラベルには、ロレンツォ・シルバ、マルタ・リベラ、ラモン・アシン、オスカル・シパン、アンヘレス・カソ、ルイス・ズエコ、ルス・ガバス、アンドレス・トラピエッロ、エスピド・フレイレといった現代スペイン文学を代表する作家の物語が配される。

これは単なる装飾ではない。
ワインを味わう行為を、思考と感性の領域へと拡張する試みであり、ラス・モラダスの文化的立ち位置を明確に示している。

マドリードのワインは総じて、品質に比して価格が抑制的である。著名産地ほどのブランドプレミアムが付いていないため、極めて高い完成度を持ちながら、現実的な価格帯で楽しむことができる。

一方で、生産量は限られている。小規模生産、手作業中心、有機栽培という前提から、大量流通を志向しないワインが大半を占める。輸出量も少なく、国外での入手は容易ではない。

この特性こそが、マドリードにワインを訪ねる理由となる。
ワイナリーを巡り、造り手と語り、現地でしか出会えない一本を手にする。マドリードのワインは、その体験まで含めて完成する。

都市の美食、郊外の静寂、そしてサステナブルなワイン造り。マドリードは今、「通過点の首都」から「滞在するワインの目的地」へと変わりつつある。グラスに注がれたワインは、この土地の標高、風、文学、そして人の思想を映し出す。マドリードを訪れる理由は、もはやプラド美術館やバルだけではない。静かな畑の先に広がる、新しいマドリードの物語が、ここにある。

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