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Gastronomy in Madrid Vol.1

市場という名の美食空間

マドリード、ローカルが集う“本物のガストロノミー”

マドリードの市場、すなわちメルカドは、単なる生鮮食品の集積地ではない。そこは都市の記憶と現在が交差し、シェフ、食通、そして日常を生きる人々が同じテーブルを囲む、極めて洗練された美食空間である。近年、ミシュランガイドに選出されるバルやレストランが市場内に誕生し、メルカドは「買う場所」から「味わう目的地」へと進化を遂げた。

Makiko Yamamoto

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メルカドに集積する才能と、日常に根差した美食

マドリードにおける市場、すなわちメルカドは、食材流通の拠点であると同時に、都市の味覚水準を映し出す鏡である。とりわけ近年のマドリードでは、市場内に高度な調理技術と明確な哲学をもつバルやレストランが集積し、メルカド自体が一つのガストロノミック・エリアとして機能している。

観光客向けに整えられた「フードホール」とは一線を画し、あくまで地元の生活動線の中に存在しながら、結果として極めて完成度の高い料理が提供される点に、マドリードの市場文化の本質がある。

Mercado de Antón Martín

マドリード中心部、ラバピエス地区に位置するこの市場は、いま最もガストロノミー的価値の高いメルカドのひとつである。
生鮮食品店が軒を連ねる一方で、カウンター主体のバルや小規模レストランが点在し、買い物、軽食、食事という行為が自然な流れの中で共存している。

この市場の特徴は、「料理人が通う市場」であるという点だ。新進気鋭のシェフから実力派の料理人までが日常的に足を運び、素材の質と料理の精度、その両方を確認する場として機能している。

La López

La Lópezは、メルカド・デ・アントン・マルティンの一角にある、わずか数席の小さな店である。厨房に立つのはセルヒオ・マヨール(Sergio Mayor)。名門レストランViridianaで研鑽を積んだ料理人であり、この店ではほぼすべての料理を一人で組み立てている。

La Lópezを象徴する一皿、トマトのコンフィ・味噌(Tomate confitado en miso)。
完熟したトマトを低温でゆっくりと火入れし、水分を保ったまま甘味と旨味を凝縮させる。トマトの甘み、酸味、そして味噌のコク…シンプルな料理だからこそわかる、作り手の素晴らしさ。市場の中の店だからキッチンが小さく、そのため入念な仕込みが不可欠なのだそう。

La Lópezは、決して“実験的な店”ではない。
市場という日常の場に根差しながら、伝統、異文化、技術を静かに重ね合わせることで、現在のマドリードを映す料理を提示している。
メルカド・ガストロノミーの成熟を語るうえで、この店は欠かすことのできない存在といえよう。

Casa Dani

Casa Daniは、サラマンカ地区のMercado de La Pazに店を構える、マドリードの市場文化を象徴する一軒だ。華やかな演出や更新性を競う店が増えるなかで、ここは一貫して「完成された伝統」を提供し続けてきた。

この店を語るうえで欠かせないのが、トルティージャ・デ・パタタス(Tortilla de patatas)。Casa Daniのトルティージャは、数ある名店の中でも特別な評価を受けてきた。
厚みのある円盤状に焼き上げられ、外側はしっかりと形を保ちながら、中心部はとろりと柔らかい。

ところで、スペインには「トルティージャ論争:玉ねぎを入れるか入れないか」なるものがあるのをご存知だろうか。好みの問題とも言えるが、昔からあるこの論争、玉ねぎを入れる入れないで、人々の意見は真っ二つに分かれるのだそうだ。Casa Daniのトルティージャは玉ねぎ入り。2019年にはナショナル・トルティージャ・チャンピオンシップで優勝したこのトルティージャを食べずして、マドリードのメルカドは語れないだろう。

メルカド・ガストロノミーが示す、マドリードの成熟マドリードの市場におけるガストロノミーは、「高級化」を目指した結果ではない。生活の場に根差した料理が、自然淘汰の中で洗練され、結果としてミシュランガイドに評価される水準へと到達したに過ぎない。市場という最も日常的な空間で、料理人の哲学と都市の食文化が交差する。マドリードのメルカドは、いまや単なる市場ではなく、都市の味覚レベルそのものを体現する存在である。

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