ファッションアイコン、歌手、女優など多岐にわたる活動を経て、2018年に独立。大人しくて可愛らしかった昔の印象から、凛としたカッコ良さを纏った大人の女性に変化を遂げた西内まりや。
そんな彼女が経験してきた、これまでの葛藤と挑戦を本音で語る特別インタビューが急遽決定した表現者・西内まりやを掘り下げるロングインタビューをご覧いただきたい。
Interview, text: Makiko Yamamoto
Photo: Chiaki Oshima
Styling: Rieko Sanui
Hair& Make-up: Tomohiro Kogure
――今日の撮影では本当に生き生きしていましたね。シャッターが切られるごとに、
西内さんの色々な表情や側面が滲み出ていて、まるで「西内まりや」の年表を辿っているような気持ちになりました。
この数年は洋服が主人公のファッション撮影が多かったのですが、そこではパーソナルな部分を出すことへの抵抗感があったなと今日の撮影で気付きました。今日は改めて自分の心の扉を開くことができた時間でしたね。
西内まりやとして撮られる瞬間が嬉しくもあり、恥ずかしくもあり……。自分の人間的な部分にフォーカスする撮影は久しぶりで嬉しかったです。
今までは正直カメラを向けられると、どこか塞いでしまう部分があったんです。過去の経験からくる、人に対しての恐怖心や自信のなさが積み重なって、カメラを向けられた時に素直に笑えなかったり、柔らかい表情ができなくなったり。
でも一歩踏み出して自分をもっと愛しながら、世の中の人たちにまた光を届けたい。最近そういう想いに気がつけて、今日こうやって自分をさら出せたのも嬉しかったです。
――そんな想いから今回のインタビューが実現したんですよね。
今までの人生様々な経験をされて、数々の扉を開いてきた西内さんですが、
小さい頃はどんな女の子だったのでしょうか。
バドミントンに夢中なスポーツ少女でした。両親がスポーツ関係で、母は国体優勝選手だし従兄弟もみんな全国レベルのスポーツ選手なんです。だから私も「バドミントン選手として日本一になるんだ」という夢を持って打ち込んでいました。
小学3年生くらいには「スポーツに明け暮れている」という感じで、他の女の子みたいにオシャレをしたり、スカートを履くような機会もなく、ジャージで汗だくの毎日。体育館を走り回って、先生に怒られて、毎晩22時頃まで練習していました。給食が終わったら全校生徒の誰よりも早く運動場へ出てドッジボールを始める、少年みたいな子どもでした。

――そんなお転婆っ娘が芸能界に入るきっかけはなんだったのでしょう。
先に姉(西内ひろ)が芸能界に興味を持って、上京したんです。私は姉に会えないのが寂しくて、それを母に話したら「まりやもオーディションを受けてみれば? もし受かったら月1で東京行けるやん」と軽い感じで(笑)。それで某ファッション雑誌に応募してもらったのですが最後の10人まで残りつつも落選。
でも落ちた応募用紙の写真を見た当時の事務所からスカウトされて、それが芸能界に携わるきっかけになりました。
――スポーツ少女から芸能界へと世界が一気に変わったわけですね。
そこからの1年間は毎週末、福岡で歌・ダンス・演技・モデルの4レッスンを受けました。ポージング練習を通して自己表現を学んだり、スカートやヒールを履かせてもらって、オシャレの楽しさを知りました。キラキラした世界だなとワクワクしていました。
もうバドミントンの練習よりも、そちらに興味が湧いてしまって。そのタイミングで事務所から「雑誌のオーディションがあるので、東京に出てこないか」と言ってもらったんです。無事に受かってファッション誌『ニコラ』でモデルデビューが決まりました。
当時は身長が低くて、同世代の子より頭ひとつ小さかったんです。1年で13センチ伸びる成長期の真っ只中。だから最初は全身ではなく、メイクのページしか起用してもらえなかったんです。
そんななか、毎月集計する読者アンケートを基に編集部に張り出される「人気コーデランキング」の上位にどうにか入りたいと思うようになって、毎月そのランキングを研究していきました。頑張って研究した結果、ありがたいことにファッションページや自分の私服特集が増えていったんです。
トップモデルとしてお世話になって、8年間ぐらいファッションモデルとしては『nicola』と『Seventeen』で大きな仕事をさせていただいて、たくさんの方に応援してもらうきっかけになりました。
――世間からの注目も高まったころですね。街で声をかけられたりもし始めたり。
そうですね。それまではやんちゃでおちゃらけた男の子みたいな私でしたが、中学2年生で上京してからは「ファンです」とか「いつも応援してます」「まりやちゃんみたいになりたくて。憧れです」と言っていただける、真逆な環境。だんだんと周囲から求められる“西内まりや”のイメージを無意識につくる……というか“西内まりや”を演じるのが当たり前になってきて。
そこから23歳ぐらいまでの10年くらいは走り続けました。ありがたいことにドラマのお仕事やMC、歌など、仕事も増えて表現する機会が増えましたが、“西内まりや”があまりに遠い存在に感じる瞬間もありましたね。
――偶像としての“西内まりや”ですね。
そうです。書店に並んでいる表紙の自分を見たり、街を歩いていて自分の広告を見つける度に、自分なのに自分じゃない、みたいな「自分ってどんな人だったっけ?」って。そんな瞬間が結構多くなってきて。
ダメな部分や完璧じゃない部分を自分が受け止められなかったんだと思います。そういう部分を見ない振りをして、ずっとキラキラで素敵な人間に見せるように頑張っていたなと。

――バドミントンもそうだし、モデルを始めてからも研究してトップに上り詰めた。
常にベストを尽くそうっていう、真面目で完璧主義だからこその辛さというか。
我が家では昔から頑張ることや結果を出すことが当然でした。だから、わかりやすい「優勝」や「一番になる」を常に求められる。それに私も応えていくことが当たり前だったから芸能界でも突っ走っていた。友達と他愛もない会話をしたり、家族と何気ない時間を過ごすなどの時間が10年近くないままで働き続けていた気がします。
当時は、カフェを通り過ぎた時など、同世代の子たちが会話をしてる風景を見て「何を喋るんだろう?」、「そんなことよりも他にやることがあるよ」と考えてしまっていたんです。友達からの「いつか結婚して子どももほしいよね」という話にも「どうして?仕事していたら子どもは要らないんじゃないかな」と言ってしまうほどで、もう本当に仕事ばかり。周囲からは「隙がなくて完璧。ストイックだよね」と言われていました。
でも本当の自分は完璧ではなかったんです。芸能界って出続けていないと忘れられるし、オーディションを100回以上受けて落ち続けていた時期からそこまで積み上げてきたので、それを失いたくなくて、常に焦りがありました。
その後事務所を辞めて、23歳で独立し新たな扉を開いた時は、もう未知の世界。とにかく“普通の生活”が初めての経験でした。
――なぜ独立されたんですか?
当時の自分ができる範囲で、可能な限りやり尽くしたんです。もう搾り出せるものがない、カラカラな状態(笑)。声も出ないし、心身ともに支障をきたしていました。そんな自分に嘘をついてまで表現したくなかったんです。「今のままでは表現者としてカメラの前や人前に立ってはいけない、一度自分を見つめ直さなければ」と。“人間的”とされる“一般的な感覚”を取り戻す必要があったんです。
カフェで友達をお茶をしたり、お酒を一緒に飲んで夜遊びしたりもしたことがありませんでしたから。それに巨大な金額が動く「芸能界」という特殊な世界に中学生の頃から入り、多くの大人のなかで働いていたので金銭感覚もズレている。だから色々なことに「ちゃんと向き合わなきゃ」という気持ちで独立したんですよ。

――今でこそ独立は当たり前ですが、当時は珍しかったですよね。
海外だと俳優にエージェントが付いて、俳優の「個性」を売り出していきますが、
日本は事務所とメディアが求める女性像にタレントを当てはめた売り出し方が主流だったという印象です。
それは感じました。恐らく後者、日本の中の芸能界で求められる女性像に合わせて活動させてもらっていたのが私だと思います。それはそれで否定はしません。国内でビジネスとして成り立つ以上は必須だと思うので。もともとスポーツ少女で活発な男の子みたいな子だったので、いわゆる日本の方が求める「可愛いくてピュアで清楚で」という感じじゃないんですよ(笑)
今はワールドワイドな時代。韓国を始め、色々な国の方が自国以外で活動される中で、女性像も変わってきています。もう「女性だからこうあるべき」というルールは必要ないという考えが当たり前になってきているなと感じています。名刺代わりのようにインスタグラムを交換してすぐで繋がって、仕事依頼があってとか。そういう時代に「こういう自分じゃなきゃいけない」という考え方はもう意味がありません。
――それに気付いたきっかけは?
「天真爛漫な少年のような自分でいいんじゃないか」と思えたのは、海外に行くようになってから。パリコレクションやニューヨークコレクションに行ってみたいと思ったのがきっかけで、毎月転々といろんな国に行く機会が増えたんです。
外国のAirbnbで洗濯や家事、料理をして「明日は何の予定を入れよう?」と考えることすらも新鮮で。今まで知らなかった自分の一面を知って、驚きもありましたが、逆に自分の魅力も発見できましたね。海外にいくことで、日本の良さを思い知ることもできましたし、そこで視野が広がりました。
——そこで発見した“新しい自分”どうアウトプットしていったのでしょうか。
自分が変わらないと周りも変わらないなと思ったので、自分が着たい服や、やってみたいメイクをひたすら自分で纏い続けて、Instagrmaも投稿を全部消して、もう総入れ替えで新しい自分を作り始めました。
そうしたら、ご一緒したかったハイブランドさんとも自然にお仕事できるようになっていったんです。この4、5年ぐらいではすっかり「西内まりやは、キツいキャラ」というイメージがあるみたいなのですが、それも自分にとってはよしよしという感じ(笑)。
「完璧」だったり「憧れ」じゃなくて、もっと自然な自分でいいと理解できて、もうキラキラと光る自分でいる必要はないんだなって、そう思えるようになってから、朝日が目の前に差し込んできた時に涙が止まらなくなりました。日常にある美しさに気がついて「今までなぜ何も見えてなかったんだろう?」と。まず一番近くにある幸せを見つけなきゃいけないよねって。
私はみんなが持っている怒りや孤独に寄り添える人間になりたいんです。きらびやかな世界にずっといたら、同世代で苦労している子とか、大変な思いをされている方に寄り添えないですから。
――別の進路に大きく舵を切ったら、やっぱり人間関係も変わってきますよね。
独立後は本当に辛かった。もう人間関係で大変だったのでボロボロ、真っ暗な世界にひとりでいる気持ちでした。本当にみんな連絡を取れなくなって。この業界で活動する以上は色々なことを言われるのを覚悟しなければいけません。それは中学生の頃からそうで、何か行動したことが全然違う話に変わったりすることもある。
でもそれを私が自分でひとつひとつ正していくのは難しいんです。「自信を持った生き方や責任を持った行動で伝えていけば、きっと伝わるはず」と信じてはいても、叶わない時だってありました。悔しい経験でしたね。
2年ぐらいは本当に孤独で、友達も全くいなくなったように思う日々でした。色々と報道されたこともあり、自分を閉ざして壁を作っていた時期でもあります。

――そんな中でどのようにして光を見出してきたんでしょうか。
人間はひとりで生きられないんだなと実感して、もう一度だけ勇気を持って進んでみようと決意した瞬間から、また世界が広がりました。新たな出会い、新たなきっかけ、新たなお仕事、そこから再び人生が始まったんです。心の支えになる友達、自分の居場所と思える仲間、信頼できるビジネスパートナーもできたり。やっぱり自分の気持ちや決意には力がありますね。
とはいえ、許せない時もあるし、乗り越えられない時もある。でも大事なのは、そんな許せない自分自身を許して、受け入れてあげること。そこから一歩ずつ始めると、いつの間にかちゃんと自分を大切にできているんですね。なぜか許せなかった人のことも許せるようになったり、自分のことを何と言われても「自分が自分を一番分かっているから大丈夫」という強さが湧いてくる。
正直、完全に引退しようかなと考えた時期もあるんですけど、表現することの美しさや伝えていく仕事が好きだし、「自分に与えられているのは表現すること。だからやり続けたい」という気持ちが心の奥深いところにあるんですね。だから他人にどう思われても、何を言われても、自分が自分を大切にして信用していれば、いつか周りにも伝わると思って生きていまいす。
今はキラキラしていた時期と、暗闇で自分と向き合って葛藤してた時期のバランスが取れている感じ。もう何も怖くないですよ。
――悟りましたね。
31歳なので、まだまだこれからなんですけど、濃度が高い10代、20代を過ごして、今が一番楽。楽しく生きられる時間が増えました。人間関係もそうですけど、本当に楽。7、8年かけて、ようやく自分のことを受け入れられた感覚ですね。だから今は「ありのままの新しい自分で再び表現していきたいな」というタイミングです。
――自分の心ととことん向き合って、受け入れて、今の光を掴んだんですね。覚醒した。
この数年は本当にそこが一番大事だなっていうのを身にしみて感じています。いいも悪いも自分次第というか、自分が意図したものが、本当に形になったり、環境になったり、引き寄せちゃったり、全ては本当に自分次第だなって思います。
あとは無意識な直感とか感覚、「何か嫌」とか「こっちへ行きたい」とか、それがすべて。それこそが誰もが平等に持ってる無限の能力な気がします。考えることに限りはないし、イメージがきっかけで革命が起きたり、発明が生まれる。それで世の中が変わるわけじゃないですか。
考えることで「覚醒」する。もう見えないものに対する抵抗はいらない、そう思うようになってから余計に私は豊かになりました。

――暗闇を歩むような経験を経て、覚醒を手に入れた。
やっぱり人って大きな出来事が起きた時に覚醒して、レベルアップすると思います。苦労とか大変な経験によって人間性が磨かれる。その都度、今までなかった感覚が芽生えたりとか、今までこう思わなかったけど、何かこういうことが起きてから変わったなとか。自然に目が覚めるというか。
自分の内側と向き合った時に、蓋をしている感情、見えない重いエネルギーが心の奥に溜まってる気がしたんです。そこに一度向き合って、その感情を解放すること。辛いですけど追体験して、もう一度その感情をちゃんと出してみる。そうするとトラウマや傷はちゃんと手放せるし、克服というか乗り越えられるんですよ。
さらにその経験によって何を学び、どう自分の強さに変えられたか、というプラスな思考をするようになって、全ての経験に感謝できるようになりました。感謝することが自信になるんですね。それに、同じことが再び起きても、もう対処法は知っているじゃないですか。今は恐れが自信に変わっているので、表に出たり発信することももう怖くないです。
――もう安心ですね。今の西内さんはスーパーマリオでいうスターをゲットした無敵状態に見えます。
これから目指す光、開けたい扉はありますか。
今の瞬間を生きてるので、最近将来のことを深く考えていませんでした。でも思考することによってイメージする未来に近づけると思うので、今決めるとしたら……これからは自分で何かを創り出していきたいって思います。
自分がどこまで日本で活動できるかといえば、いろんな規制もあるし難しいかもしれません。でも本当に自分がやりたいことだったら、どんな環境でもやると思うんですね。そこで自分自身を磨いていると「これをやりたい」とか「あれを作りたい」って、想像して何かを作り出す気がします。
また作曲も再開したいですね。この数年はピアノと向き合っても「どうせ上手くいかない」と考えたり、諦めが強かったですが、今は「別にダメでもいいじゃん。私しか出せない何かがあるかもしれないし」という前向きな気持ち。仕事としてではなく趣味だったとしても、発信したら誰かに届いて、いずれ仕事になるかもしれない。
ここ数年自分の心との向き合い方を意識してきたので、自分の心との向き合い方を軸に考え方や生活のバランスの取り方なども一緒に発信をしたいなと思ってます。
これからも色々なドラマがあると思いますが、それすらも楽しんで、もがいて、受け止められる自信はあります。あとは子どもを産んで母親になる、家族を持つといった女性としての夢もあります。一つに絞らず、流れに身を任せていたいですね。
初めて彼女に会ったのは4年ほど前だろうか。
繊細で壊れそうな彼女の印象に、「この世で生きていくのは本当に大変だろうな」と
胸が締め付けられるような気持ちになったのを覚えている。
その後幾度か会う度に、醸し出すオーラやエネルギーの変化をふんわりと感じてきたが、
今回の対話を終えて、予感は確証に変わった。
ここまでにたくさんのプロセスや努力を要したのは明らかだが、それらは完全に報われた。
今の西内まりやは無敵だ。
どんな状況でも自分に丁寧に向き合い、心の声に耳を傾けながら人生を紡いでいる彼女から、
勇気と希望を受け取ったインタビューとなった。

Profile:
西内まりや
福岡県出身 1993年12月24日生まれ。
トップモデルとして数々の表紙を飾りドラマや映画では主演に抜擢。アーティスト活動では作詞作曲など、自身でも楽曲制作を手掛けており、第47回日本有線大賞新人賞受賞、第56回日本レコード大賞新人賞および最優秀新人賞を受賞。現在は海外のファッションショーや雑誌、Netflixでの女優活動など活動の幅を広げている。
