彼の映画を観たとき、「この作り手はとても純粋な心を持っているんだな」と直感的に感じた。そして実際にインタビューしてその直感が間違っていなかったのだと確信した。

映画監督・表現者 長谷井宏紀との対話を通して、人生に必要なモノが何か、それを再認識させられた。このインタビューは冒険野郎の心に一筋の光をもたらすだろう。

ー映画『ブランカとギター弾き』はフィリピンのスラムを舞台とした映画ですよね。拝見しましたが感動して最後ウルッとしてしまいました。スラムという場所にも関わらずとても美しいなと…心の清らかさが画面を通してにじみ出ているというか。  

そうですね。主人公の少女とおじいさん以外は全て現地でキャスティングしたので、あそこに出てくるキャストは本当にスラムの子どもたちなんですよ。でも僕の脚本と同じ背景を持っている子がいたりと、今回の作品には偶然がたくさん重なりました。主人公のおじいさんの本当の人生も脚本とすごく似ていて。奇跡的ですよね。書いた事とピーターさんの人生が似てたというか。彼は今回が演技が初めてで演技のワークショップをやっていたときに、話す機会があって。そこで彼の人生を聞いたとき、僕の脚本と一致している部分が多かったんです。書いたことが実話になっちゃったというか。

ー偶然、必然というか。

結構そういうことってあるんです。前の短編の時もそうだったんですけど、そういうことが結構ある。

脚本を紙に起こして、それを映画化するとき、映画って複数の人が集まってやるんですよね。照明だったりカメラマンだったり、それぞれの“現在進行形のライフ”たちが、脚本という“想像の物語”を作っていくわけで、それが時折クロスするんですよね。だからこそ面白いし、気をつけなきゃなって。

映画館ってスクリーンが光を反射して物を映し出すんですけど、その構造って僕らの目に近いんです。

ーというと?

コンピューターとかテレビって発光なんですよね。でも人間の目は、光の反射を見てモノを捉えているんです。映画館はそれと同じような構造。だから現実に近いというか。その分、映画を製作している途中にあった“何か”が観ている人の中にひゅっと入りやすいんですよね。それを分かった上で僕は映画を作っていきたいなと。

ーなるほど!そういう視点で物事を考えたことがなかったので、非常に興味深いです。興味深いといえば、長谷井さんは海外の経験が長いですよね。セルビアにもいらしたとか。冒険お好きなんですね。  

よく言っていただけるとそうかな。悪く言うとフラフラしてるというか(笑)。

ー独自の道を切り拓かれていますよね。ときに、不安を感じることはありますか。

不安…。良い意味で不安は使う時はあるし、悪い意味で不安が来ることもあるけれど、そういう時は落ち着くようにしていますね。

ずっとテレビを持たない生活だったんですけど、1年くらい前にテレビを持ち始めて、そこでテレビや、インターネットのニュースのなかに不安要素をいっぱいみつけてしまいますよね。購買させるために“不安にさせる”宣伝もいっぱいあるだろうし、そういうものとかはなるべく自分に入れないようにしてるかな。

ー大半の人が気がつかないそういう部分に“気がつく”というのは、やはり旅をいっぱいしてるからこそ、自分の判断基準があるというか、そんな感じがしますね。

それはいっぱいあると思う。旅で視点が広がるというか。一つだけで解決しようとしていたことが「いや、こっちからもいけるじゃん」って多角的に見えるようになるし、色んな考え方ができるようになりましたよね。

ー分かります。その方がもっと生きやすくなると思いますね。  そうだよね。楽になる。楽という言葉が正しいかはわからないけどね。僕の映画の題材って「貧困」なんです。「路上で生活している子供はなんて可哀想なんだろう」という切り口の人の見方に疑問を呈したい。

そういう人たちは「自分は可哀想じゃない」ということを前提に置いて「あの子たちは可哀想ね」と思っているんです。でもどうして“自分を可哀想”だと思わないのか。それは、「自分は満ち足りた世界にいるから」なのだろうか。

では一体“満ち足りた世界”とはなにか…。

物に溢れた世界って、つまり消費経済の渦にどっぷり巻き込まれているっていうことなんです。でもその現実から目を背けて、「私達は満たされた場所にいる」と思い込む。そして、何も持っていない人たちを“可哀想”ってジャッジしちゃう。

僕はその考え方は絶対違うと思っているんです。一般的に貧困と言われる“可哀想な彼ら”の世界に入って初めて見える世界があってそれは決して“可哀想”ではないんです。

その事実を政治や社会が無視してしまっている。それは自分たちにとってその世界を見る必要性はないわけで、「誰が困っていようと自分がハッピーだったら良い」そういう考え方になってしまっているんですね。

遡れば、そんな“社会”も最初は“男と女”で始まり、そこに子供が産まれて家族になって、家族の集まりが町内会や町になって、それが市になって区になって、国という集まりになって、それが集まったのが世界になって地球になる。元を辿ればそこなんですよね。  僕がスラムで見たものは、その過程というか“元”みたいなものを大事にしている姿だったんです。「それってとても大事なことじゃないかな」って疑問を呈したくて、シンプルなストーリーの裏にそれを潜ませたんです。なるべくシンプルにみんなに入ってきてもらって、その本質を感じて欲しかった。暖かい力と前向きな人と人とのつながりが一番大事なんだよねっていう。

社会が発足してから経年につれ、どんどん人のつながりのない社会になってきていますよね。それは同時に、魂のつながりを感じないから平気で人を傷つけることができる社会にもなっていくんだと思う。

例えば、戦争の映像などを観ていても、最近は爆弾なんかを遠隔操作をしてバーンってやっちゃう。でも、昔は人間同士が刀を合わせてっていう戦いだったでしょう。「人対人」の空気感がなくなってきている社会は、ほんとに残酷だしとても冷たく感じますね。

ー本当に。恐ろしいです。  

そう。自分が映画を通してやれることって、こういう社会に対して一つずつ「大事なものってなんだっけ」と提案していくことだったりするんです。だから今回はストリートの子供たちの視点を借りて、小さな映画だけど表現させてもらいました。

ー日々忙殺されていると、何が大事なのか、幸せとは何か…そういう基準が分からなくなってくる。お金も物も持って、友達も一見多いように見えるから幸せというわけじゃないですよね。それよりも、本当に信頼と愛情を持って思い合える人がたった一人でもいる方が余程幸せなんじゃないかと。

そうですね。でも結局自分たちは何のために生きてるかって話だと思うんですけどね。

ー何のためだと思いますか。

“今を感じ合う”ということだと思いますけどね。

どうなんだろう。でも、日本の政治家たちは、こういう貧困の世界に足を踏み入れて、ストリートの立場から世界を見たことがあるのかなって。貧困を目の当たりにしたとき、彼らはこの世界をどう思うだろうとか、疑問はありますよね。

少し言い方は悪いけど、二世の政治家たちなんか特に、今まで良い暮らししかしてきてない人たちが国を動かしていると思うと怖い。政治家の人たちにはぜひ末端の人々の場所に立って社会を見て欲しいなってすごく思う。

ーそしたらこういう政治にはなっていないでしょうね。

僕は意外と物を持っている人たちの方が不安そうな顔をしてるなってすごく感じる。

ー分かります。  

何も持っていない人たちって、そこに安心とか、信頼とか、人しかないから…でもそれが一番大事。「そこが一番大事じゃない?」って映画を通して伝えたかった。

ー私、ジャマイカへ行った時にすごく感じたんですけど、みんな仕事もしないで、道に座ってレゲエを聴いておしゃべりして、お腹が空いたらそこにあるマンゴーを食べて…それがすごく幸せそうで。いつか住みたいと思いました。  

僕もこの前ジャマイカに行ってましたよ。いいところだよね、カリブ海綺麗だしね。音楽は溢れてるしさ。

ー貨幣制度がなくなったらいいなって。物々交換で生きていけるわけだし。

いけると思う。必要のないものを作り続ける意味がどこにあるのかって思うんですよね。「もう新製品の炊飯ジャーいらなくない?」ってさっきもジョークで話していたんですよ。炊飯ジャーって性能が今もうマックスにきている(笑)。そこに新たな炊飯ジャーっているのかなって(笑)。でも企業は作り続ける。製品として成熟してしまっているものは、生産を止めて環境に優しくなった方がいいと思いますけどね。
ー地球と調和しないとバランスがくずれますよね。

そんな気がする。差別に関してもそう。フィリピンでも僕が撮っていた場所はすごく差別される場所だったんです。でもフィリピン自体、一時期日本のおじさん達が女の人を買いに行ってた時代もあったので、フィリピンの人達も差別されがちな時代もあった。でも、日本人もアメリカに行ったら、差別される。差別はキリが無いというか。

ーキリがないですね。

イギリス人はアメリカ人を差別するし。  グルグルと蛇が自分の尻尾を追いかけてるみたいな感じで、白人黒人とかも未だにそういうのもあるわけだし。

ー差別が高じると戦争の一端にもなりかねない。そういう差別意識を植え付けることで利益を得ている人もいる気がしますよね。

いると思う。人種以外にも、男と女、既婚者とシングルとか、そういう分かりやすい区別があったほうが認識する側も楽なんだと思う。そこで分けてしまうことで、「それ以上深く追求する必要はないからオッケー」ってなっちゃうんじゃないかな。情報を自分なりに咀嚼する前に、そういった一般的な枠組みでの分類で認識してしまっている…今、あらゆることがそうなっている気がするんだ。もう少し丁寧に考えたら違う気づきがあるはずなんでしょうけれど。

ー確かに。目の前の事象を既知とせず、常に新たな心で受け止めていきたいですね。そういうのを面倒くさがったら人生が灰色になりますね…。最後にADVENTURE KINGの読者にメッセージをお願いします。

色んな人がいるから、あんまりきついことも言えないけど、「波に乗ってください」と言いたいですね。人生にはいろんな波がくると思うからそれを上手く捉えていってほしい。常にいろんなことが起きるし、いろんな問題が起きて、いちいち悩む時間が良くなかったりする。一つ波を見つけたらそれにどんどん乗っていくことで違う何かが見えてくるはず。そこでやりたいと思える気持ちがあるなら、その波に乗ったほうがいいと思う。そうすればまた違う波がくるし、そしたらまた乗ればいい。その波がどういう波かは人それぞれ違うと思うけど、周りの人を大切にして、自分を大切にして…ね。

Profile : 長谷井 宏紀   岡山県出身 映画監督・写真家。セルゲイ・ボドロフ監督「MONGOL」(ドイツ・カザフスタン・ロシア・モンゴル合作・米アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品)では映画スチール写真を担当し、2009年、フィリピンのストリートチルドレンとの出会いから生まれた短編映画「GODOG」では、エミール・クストリッツァ監督が主催するセルビアKustendorf International Film and Music Festival にてグランプリ(金の卵賞)を受賞。その後活動の拠点を旧ユーゴスラビア、セルビアに移し、ヨーロッパとフィリピンを中心に活動。フランス映画「Alice su payss‘e’merveille」ではエミール・クストリッツア監督と共演。2012年、短編映画「LUHA SADESYERTO(砂漠の涙)」(伊・独合作)をオールフィリピンロケにて完成させた。2015年、『ブランカとギター弾き』で長編監督デビューを果たす。現在は東京を拠点に活動中。