“人種のるつぼ”と言われるアメリカの中でも、ここニューヨークは最も“るつぼ”であると言えるだろう。 金融の中心地であり、エンターテインメントを牽引する場所でもある。

また、その動向は世界中の株価や為替を左右する。17世紀、ヨーロッパ人によるマンハッタン島の発見と開拓からわずか400余年、これほどまでに急速な発展を遂げた土地、ニューヨーク。いい意味でもその反対でも、N.Y.はまさに世界の中心であり、今も昔も映画や歌の舞台としても人の記憶に足跡を遺す。

そこで今回は各コーナータイトルを名曲にちなんでつけてみた。歌手と曲名は同ページに示しているので、曲を聴きながら写真と文章を楽しんでみていただきたい。

世界一ドラマティックでポエティックな場所、ニューヨークへいざ飛び込もう

(Frank Sinatra – New York, New York) Photo, text: Makiko Yamamoto

人が交錯し様々な文化が入り交じるマンハッタンを上から臨む。混沌とは裏腹に整然と林立するビル群にどこかセンチメンタルな面影を感じた。

NEW YORK EYES

-眠らない街-

Les Contes dÕHoffmann

昼夜を問わず明々とネオンが煌めく場所、タイムズスクエアは我々に瞬きを許さない。秒速で変わる広告サイン、世界の縮図かと思うほどに様々な人種が往来するストリート、浮き足立った雰囲気は人々の不安を興奮に変えていく。この光景を凝視する数えきれないほどの目は、それぞれが大きく見開かれ、まるで何かに酔っているような表情をたたえていた。 (Nicole ft Timmy Thomas – New York Eyes)

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NEW YORK CITY BOY

-夢をかなえる場所-

元スパイスガールズのMel Bとブロードウェイの重鎮Amraが主役をつとめる「Chicago」

元スパイスガールズのMel Bとブロードウェイの重鎮Amraが主役をつとめる「Chicago」

ミュージカルの整地、ブロードウェイのシアターディストリクト(劇場街)。劇場の大きさによってブロードウェイとオフ・ブロードウェイに分けられ、オフの方は「ブルーマン」などのパフォーマンスやダンス、一人芝居なども上演されている。どちらも世界中から夢を携えて集結した俳優たちの熱気に溢れ、劇場にひとたび立ち入れば、その世界観に完全に飲み込まれる。 「一流とはこういうものか」…まるでこの役を演じるために生まれてきたかのような演技と配役の妙、劇場に無限の広がりと可能性をもたらす大道具や照明の技。毎回驚きと感動を与えてくれるショーは、いくら観ても飽くことのない、最高のエンターテインメントだった。 (Pet Shop Boys – New York City Boy)

名曲「ムーンライト」が心を打つロングラン「CATS」

名曲「ムーンライト」が心を打つロングラン「CATS」

ロバート・デ・ニーロがプロデュースした注目の新作「A Bronx Tale」

ロバート・デ・ニーロがプロデュースした注目の新作「A Bronx Tale」

IMMIGRANTS IN NEW YORK

-移民が溶け合う地-

Lower East Side Tenement Museum

Lower East Side Tenement Museum

Casa Grande Cigars (ARTHUR AVENUE RETAIL MARKET, Bronx)

Casa Grande Cigars (ARTHUR AVENUE RETAIL MARKET, Bronx)

Central Station

Central Station

合衆国の大部分を締める白人たちは、非英語圏の白人やヒスパニックやアジアンたちを“移民”と呼ぶが、元を正せば、アメリカは移民により成り立った多民族国家であり、さらに土着の人々を保護区に“収容”している。始まりから現在までのそんな歴史は今も各所に遺されているので、ぜひ立ち寄ってみていただきたい。 (Shinehead – Jamaican in new york)

 

NEW YORK STATE OF MIND

最初にN.Y.を訪れたのは、2007年年末。当時勤めていた会社の忘年会をこっそり抜け出し、用意していたスーツケースを携えてそのまま空港へ…目的はタイムズスクエアでニューイヤーカウントダウンをするためだった。「スリー、ツー、ワン!」雪が降りそうなほどの寒かった年越しの瞬間、鮨詰め状態のタイムズスクエアは熱気に溢れ、一斉に愛する人とキスを交わしているのを私はただ横目でみていた。「こんなにたくさんの人がいるのに、どうして私は世界でたった一人の気持ちになるのか」当時まだ若かった私は英語もままならず、街で一人、完全に取り残された気分だった。 翌日からは雪が降り、私は雪道をただただ歩いた。雰囲気だけでもとけ込もうと努力してみたのだ。しかしそれも徒労に終わりそうだ、そう思ったとき、路上でキャンディーを売っていた人が笑顔で話しかけてくれた。 「君、どこから来たの。今日寒いよね。一人だけど大丈夫?友だちになろうよ。今時間がないならいいんだよ。明日もここで売っているからいつでも来なよ」。 「ありがとう。日本から来たの」。 他に話したいことがたくさんあったのに、語学力がままならない歯痒さと、何か居場所を見つけられたような嬉しい気持ちが一気に押し寄せてそそくさとその場を立ち去ってしまい、私の最初のニューヨークは終了した。 二度目のN.Y.は、アドベンチャーキングの取材で、N.Y→ジャマイカ→セドナのロングジャーニーをしにカメラマンであり副編集長だったカールとともに訪れた2013年だった。貧乏旅ながらも観光地を巡り、現地に住んでいた彼の友人もジョインしたりして充実した旅だった。その頃には英語力にも自信がついて、ノリでブルックリンのハーフマラソンに飛び込み参加するなど、積極的に旅を楽めるようになっていた。その旅で一番忘れがたいのは、一人のペインターに出会ったことだ。彼はアブストラクトを得意とするペインターで、私たちと一緒に美術館巡りをしたりブルックリンを案内してくれたりと、N.Y.滞在のほぼ全てをともに過ごした。背が高くて穏やかで、人の話をよく聞いてくれるとても優しい人だった。ブルックリンにある新進気鋭のアーティストをよりすぐった美術館、「MOMA 2」で私たちはビールを飲んでいた。学校の校舎を改築したそのカフェは、黒板やロッカー、そして机も、オールドスクールをそのままに残していたのだが、机にはノートブックが入っており、訪れた人が落書きできるようになっていた。そのノートブックを見つけた彼は、一心に鉛筆を動かし始めた。誌面を黒く塗りつぶしながら何かの形を描き始めた彼から私は目が離せなくなった。他の一切のノイズがカットされ、無音の中、彼しか視野に入らない。そんな不思議な感覚は初めてだった。 「稲妻が落ちた」と表現することもできるかもしれないが、未だに謎のままだ。ただ、最後の夜、3人でウォールストリートを歩きながら、彼がふいにギュッと手を握りしめてきた、あの暖かさが何かの答えだったのかもしれない。 N.Y.は、訪れる度に、私に何かを語りかけてくる。 それは、絶景を目にしたときの感動とは違う、何か自分の考え方や人生の踏みしめ方や、瞬間の捉え方…曖昧ではあるが、日常では気がつかない“人生のエッセンス”のようなものだ。 私にとって他のデスティネーションでは得られない、N.Y.ならではのものだ。 この街が移民の国を象徴しているからだからだろうか、活気があるのにいつもどこか淋しそうなN.Y.が気になって仕方がない。 (Billy Joel – New York state of mind)

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ON THE SIDEWALKS OF NEW YORK

-The Invisible-

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見えない力で引き寄せられる場所。運命で惹かれ合う人と人。偶然なんて存在しない。御心のみぞ知る究極の奇跡なのだ。 (Nat King Cole – On The Sidewalks Of New York)