TRAVEL

SHINNING ISLAND MALTA

Photo: Hiromichi Matono
Text: Makiko Yamamoto
Cooperation: マルタ観光局・ターキッシュエアラインズ

イタリア・シチリア島の南に位置するマルタ。
東京23区の半分ほどの面積ながら、歴史における彼らの功績は世界中によく知られている。
十字軍時代のパレスチナに発祥した聖ヨハネ騎士団を起源としたマルタ騎士団が活躍して久しいが、現在でも医療などの慈善活動を通してその名を止めているのだ。
歴史深く、どこか郷愁を感じる国、マルタ。
ここに来たらなぜか心が純粋へと昇華していくのを感じることだろう。

のんびりとした雰囲気が懐かしさを呼び覚ますゴゾ島。マルタ島からフェリーで25分程度という近さだが、マルタ島とはまったく違う島の情緒と島民性は体験する価値ありだ。

VALLETTA

街全体が世界遺産の首都ヴァレッタ。1565年のオスマントルコ軍との戦い「グレートシージ(大包囲戦)の経験から、難攻不落の都市となるよう設計され、建設された要塞都市だ。海路を見渡せる美しい展望が作られた背景にそっと想いを馳せてみて。

アッパーバラッカガーデン 地中海随一といわれる良港グランドハーバーを見下す展望デッキがある公園。昼12時にはグランドハーバーを守るように構えられている大砲が発射され時報を知らせる。

聖ヨハネ大聖堂
慎ましやかな外観と裏腹に、一歩足を踏み入れるとその絢爛ぶりに息を飲むことだろう。ここは1577年、騎士団がその名前を冠したキリストの授洗礼者聖ヨハネを称えるために建てた大聖堂で、街のシンボル的存在。精巧緻密に施された彫刻は、何時間みていても飽き足らない素晴らしさだ。

EAT HEALTHY,NATURALLY,VERY SIMPLEY…IT’S MALTESE STYLE

海と大地の恵みを丸ごと皿に表現した、素朴なマルタ料理。シーフードが新鮮なのはいわずもがな、オリーブやチーズ、トマトなどの野菜も素材そのものの味を力強く感じることができる。特筆は「ハニーリング」という伝統菓子。ナツメヤシ(デーツ)とハニーを練り合わせたシンプルな焼き菓子で優しい甘さが世代を問わず好まれている。また、太陽の味がするマルタワインも絶品。白も赤も、ミネラルたっぷりの味わいで肉料理によく合う。

マルタではテーブルに座ると頼まなくても前菜盛り合わせがでてくる。内容は店によって異なるので食べ比べが楽しい。

シーフードはシンプルに調理、果汁たっぷりのレモンをぎゅーっと絞っていただくのが一番美味。

伝統菓子ハニーリング

うさぎの肉の煮込み。うさぎ料理はマルタの名物料理のひとつ。

LIVE WITH THE OCEAN

どうしてだろう、ふと海辺が恋しくなるのは。僕らが海から生まれた証拠なのだろうか。 地中海に囲まれたマルタの人々は(猫たちも含めて)生まれたときから海と共生している。様々な歴史を経てもなお彼らの長閑で優しい国民性が保たれているのは海が人をニュートラルにしてくれるからかもしれない。 そして僕らがマルタを訪れたときに感じる懐かしさは、もしかしたら日本も同じ島国だからかもしれない…島歩きをしていてふとそんな考えが頭をよぎった。

STREETS

ライムストーンが優しげな印象を醸すマルタの街並み。 夢でみたような景色が目の前に広がり、ワクワク高鳴る心を解放してそれの赴くままに街歩きに興じる。 そんなとき、まっすぐ伸びた道をみて、ふと子供のころを思い出す。世界がまだ無限に広がっていたあのころ、知らぬ土地を訪れては道を眺めていたあのころ…「この道をまっすぐ進んだらどこに辿りつくんだろう。みたこともない光景が広がるんだろうか。それとも突き当たりがなくて世界の果てまで行ってしまうのか」。 そんな妄想は全てgoogle mapsが一掃してしまった現代。 ときに携帯を置いて、心のコンパスに従ってみるのもまた冒険だ。

SENTIMENTAL JOURNEY

陽が暮れて30分ほどの間、“マジックアワー”が僕らを包み込む。どうしてだろう、この時間になると心がゆらゆら揺れて、形容できない気持ちに支配されてしまうのは。きっとこの空気感や眼前に広がる景色が美しすぎるから、それを自分の中で処理できないのではなかろうか。 マルタで幾度も味わったマジックアワーのゆらめきは、どんなジュエリーよりも美しく脳裏に焼き付いて離れなかった。

GOD IN OUR MIND

偶然は必然だ、苦難も必然。 予想もしなかったことが起こったとき、“神がかっている”という言葉を用いるように、我々はことにつけて“神の存在”を意識する。 いかなる宗教であれ、たとえ無宗教であったとしてもその“存在”は僕らにとって唯一無二の心の拠り所であり、“不可解な現象を理由づける特別な存在”ではなかろうか。 そして私は思う、その“存在”は僕ら一人ひとりの心に必ずある“何か”なのだと。

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