「剱伎衆かむゐ」を立ち上げサムライ・ソード・アーティストという新たなジャンルを開拓。
タランティーノ監督「KILL BILL vol.1」にCRAZY88-“MIKI”役での出演と殺陣・振付指導という大役を果たし、一躍世界にその名を轟かした現代の侍、島口哲朗。彼の魂の中心には極シンプルながらも力強い大幹があった。

 

—カムイというチーム名、ユニークですよね。  

正式名称は「剱伎衆かむゐ」なんですけど、剱がマーシャルアーツの剣術や刀を意味していて、伎が歌舞伎の伎の字でパフォーミングアーツ、つまりお芝居という意味です。かむゐというのはフィーリングでして、先に仕事が決まってしまってグループを結成した98年に作りました。ショーの仕事だったのですが、名前がなかったので僕がフィーリングでつけたんです。でも、実は後で調べたらアイヌ語で神という意味だったんです。世界に伝えたいなという思いがあって、剣伎衆を漢字に、かむゐを日本のカナ文字にしました。

—歌舞伎を始められたきっかけはなんですか?  

僕の場合、家柄が歌舞伎というわけではないんです。日大の芸術学部で特殊技能を専門にしていたんですが、そこで殺陣に出会ったのがきっかけです。もともと物書きになりたかったんですけど、なぜだか演じることに興味をもって。卒業した後もずっとお芝居とか剣の方にずっと仕事をしてたので、就職活動とか全然してなかったんですよ。そしたら、歌舞伎の方で人が足りなくて特殊技能がいる人がいないかということで、ご紹介を頂いて歌舞伎の世界に入りました。これはとても珍しい例だと思いますね。

—なかなか歌舞伎の世界に入れるものではないですよね。

そうですね。僕もそう思って弟子入りの直前まで歌舞伎をしていました。伝統芸能である歌舞伎に対してリスペクトしていましたが、ただ、それだけをずっとやるということは当時25歳だった僕からしたら多少の違和感があって。「何か自分ならではのオリジナルでできるんじゃないか」という漠然とした思いもあって。それでしばらくアルバイトをしながら。日本舞踊や剣術、空手、和太鼓などに挑戦しながら自分を磨こうと思ったんです。もちろんちゃんと遊んだりしながらね(笑)。とにかくやりたいことをもっと具体化するために良い意味で”フラフラ”してましたね。

—一種のモラトリアムですね。何年ほどですか?  

25〜27歳の終わりくらいの2年間ですね。、歌舞伎などに出ている時ももちろんお金は頂けていましたし、フリーの時にも決まったギャランティがあったんですが、「剱伎衆かむゐ」をスタートしてからはパフォーマンスがなかなかギャランティに反映しなくなったんです。当時そういう「立ち回りパフォーマンス」というカテゴリー自体もなかったですし、侍のアクションといっても結局時代劇の一部なんですよね。日本舞踊や歌舞伎、音楽などでもそうですけど、曲が残ったり芝居が残ったり台本が残ったり作品として残る。それと同じように「剱伎衆かむゐ」のパフォーマンスにおいても人間の喜怒哀楽を表現したり音楽とコラボレーションしたりして、世界に通用するものを日本の文化として確立できないかなというのを、その時から漠然と思ってたんですよね、今はすごく具体的に思ってますけども。ですから「剱伎衆かむゐ」の立ち上げ当初、日本ではあまり仕事がないのでバイトして貯めたお金でアメリカに行って、ストリートパフォーマンスをやりながら地道に活動をしていました。偶然ですが路上パフォーマンスをしていた時に2002年に「KILL BILL」で再会することになるクエンティン・タランティーノとロスので路上で会っているんですよね。やっぱりそういう意味ではアメリカンドリームを肌で感じたというか。地道にやっていればどんどん繋がっていくのがアメリカならではですよね。ベガスのホテルのオーディションに受かったときにはそこで3ヶ月くらい契約しないかと言われたんですけど、「いや、日本に帰ってバイトをしなきゃいけなくて・・・」って断らざるを得なかったりとか(笑)。

—ビザ厳しいですもんね。でもカッコイイ! アメリカンドリームに着実に近づいてますね。  

でも「剱伎衆かむゐ」としての本当のスタートはそこからですね。2002年に撮影があって2003年に公開されたハリウッド映画の「KILL BILL」で僕は出演と振り付けをしたんですけども、そこで世界のトップの人たちと改めて仕事をすることになって。そこで感じたのは、「このままでいいんだ」っていうこと。自分が”いち日本人”として自信を持ってコミュニケーションを取れば、向こうは向こうでちゃんと認めてくれる。それこそ一番仲良かったのがルーシー・リューでしたが、サミュエル・ジャクソンは彼の家で、僕のためにパーティーしてくれたりして。そこにバスケットボール選手のマジックジョンソンなんかもいたりして。本当に良い経験なりましたね。彼らは人間的にもすごくフラットでいい仕事ができる環境を彼らが作ってくれたんです。もちろん日本に戻ってきてから、また大変な目に遭いましたけど、僕はそこでそれを機に一切バイトは止めたんです。それこそ食えない時でもお金借りてでもその芸の道で行こうと思って。一時期本当に4、500万くらい借金があったんですけど、一応借金を全部返してそれで今なんとかこの道で、いろんな媒体でパフォーマンスもそうですし、映画に出演したり、振り付けしたり、今道場を東京とアメリカ、イタリア、ポーランドで少しずつやれる範囲でやり始めて。でも剣を通じて人と出会えて、時にはその企業の人とたちのチームビルディングのコミュニケーション学ということを教えたり、イタリア行ったらフィレンツの大学で講義させてもらったりもしています。僕なんてただのチンピラみたいな人でしたが、自分がやりたい事をして、オーディエンスがすごく目を輝かせてスタンディングオベーションをしてくれるとアーティスト冥利に尽きる最高の気持ちです。自分の意思をしっかりと持つというのが大事なんだと思うんです。

—意思をしっかり持つこと、ですね。  

そんなに難しく考えなくてもいいんです。例えばレストランに入ってメニューを決めるときでも「何でもいいや」ではなくて、自分の好きな物はなんだとか嫌いなものはなんだとかアウトプットしていくこと。そしてそれを”発信”する。それを受信してくれた人とまたその次のキャッチボールとが始まっていくと思うんです。その小さなことの積み重ねなんじゃないかな。自分の意思は大事なんだけど自分の意思をちゃんと相手と共有する、そのやり方は何でもいいと思うんです。それが音楽だろうが、趣味であろうが、仕事であろうが遊びであろうが、家族とか友達とか。僕だって人を斬ってる訳ではなくて、普通にご飯も食べるし、遊んだりもするし。でもやっぱり人といる時に自分が自分として責任を持つこと。いいんです、ずーっと遊んでても。でも、結果自分を大事にすること。自分が大事に出来ないと人の事なんて大事に出来ないし、でも自分を大事にするというのが分からなかったら、まず1日1日しっかりやることがでっかい夢に繋がってくると思うんですよね。それこそ明日死んでしまうかもしれないし、かと言って無理に全部全力やる必要はなくて、やっぱり大事な人のためにもね、自分を大事にして、親にしても友達にしてもね。なんか時間というのをすごく大事にしたいなという風に思いますね。

—あと一つだけ、特に最近の若い子はいい会社に入って安定みたいなことを考える子もいるんですよね。リスクエッジする人生って楽しいというか安心はすると思うんですけど、絶対に後で愚痴が出てきたり後悔すると思うんですよね。自分の人生だから自分でリスクを取って、やりたいことをやるべきだと思うんですけどなかなか踏み出せないって人がいて、どうしたら踏み出せるのでしょうか。

みんな始めからビジョンを持っている訳ではないですよね赤ちゃんに生まれた時に俺はこう生きようみたいなことは誰もない訳ですから。だたなんとなく就いてしまった職だとしても、それはすごく縁はあると思うんですけど、でもそれがもし嫌だったら、「一生懸命生きてみる」っていうのも良いかも知れない。一生懸命は人それぞれでだと思います。読書が好きな人がひたすら本を読むことも、それもいいと思うんです。とにかく何でもいいんで燃焼して欲しいですよね。大事なのは「なんとなく」をやめること。「なんとなく」の日常を送っていたら「なんとなく」人のせいにして、後悔も出てくるから。今の自分は全て”自分のせい”なんですよ。日本人だったら特に美学を持って、恥を知って、意地もあって、そういう自分の感情を揺さぶってほしいです、何でもいいんで。でも、それでもてあましてるんだったら、一度道場来て欲しいですし、なんとなく会いに来て欲しいし。僕の周りには変わり者も多いですが、でも本気の人たちがいます。世界中どこでも同じで、本気で生きてる人はやっぱり輝いてるし、なんだかんだ言って大事にされてる。

—最高にかっこいいですし

ですよね、幸いなことにそういう”かっこ良さ”に僕らは出会えている。だからパフォーマンスや講演などを通して伝えていきたいと思っています。ただ単に火がついて話してる時でも、飲んでる時もそうなんですけど、きっと喋ること伝えることはきっと使命なのかなって思いますし、まぁ今日こういうご縁を頂いて話させて頂いてるのも、すごく嬉しいことなんです。ただ本気では生きてます‼︎ だから、そこに対して誰がなんと言おうが絶対に媚びたりしないし、媚びなくていいと思うんです。ただし、リスペクトして欲しいと思います。

 

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Profile  島口哲朗(サムライ・ソード・アーティスト)

1970/5/13 埼玉県生まれ。
日本大学芸術学部映画学科卒業。
歌舞伎などの舞台で経験を積んだ後、1998年 『剱伎衆かむゐ』を創設、主宰を務める。
主な俳優活動として、Q・タランティーノ監督映画『KILL BILLvol.1』では出演(CRAZY88-“MIKI”役)& 殺陣指導・振付。
J.F.ケネディーセンターをはじめとするKAMUIア メリカ公演、「CHANBARA」・「SAMURAI SPIRIT」エディンバラ公演、イタリア国立 ペル ゴラ劇場公演をはじめとするヨーロッパツアー、ハイアットホテルやシェラトンホテルなどでのディナー ショー、短編映画主演など多岐にわたる。
明治座舞台公演や地球ゴージャス「クラウディア」、「HUMANITY」、 「星の大地に降る涙」やマキノ雅彦監督映画「次郎長三 国志」など振付も多数を手掛ける。
最近はアメリカやヨーロッパなどの海外メディアに特集されることも多く、日本文化としての「SAMURAI」を世界に発信し続け ている。
日本舞踊七々扇流名取。
新陰流剣術・空手なども得意とする。
2012年、独自のSAMURAI道場『剱伎道』を創設。
kamui-tetsuro.com

<剱伎衆かむゐ>
1998年、島口哲朗により結成。日本映画や演劇の華である「殺陣」を、その伝統的な文化と技術を活かしながら、現代の新たな舞台芸術へと昇華させることを目的に活動を開始した。

国内各地でのイベントやテレビ番組などへの出演を通じて徐々に名声を高めるとともに、早期から海外への積極的な進出を図る。

2003年には島口哲朗が、クエンティン・タランティーノ監督の代表作「Kill Bill vol.1」にて殺陣シーン(日本パート)の監修と出演を果たす。

2005年にはワシントンDC、フィラデルフィア、サンフランシスコのアメリカ3都市公演ツアーを敢行し、J・F・ケネディ・センターの公演で大好評を博すと、2008年、世界最大級の芸術祭「エディンバラ・フリンジ」(スコットランド)にて単独公演を成功させ、国際的な名声を得る。

近年は2010年のフィレンツェ日本映画祭でのゲスト公演(国立ペルゴラ劇場、フィレンツェ)を皮切りに、イタリア、ポーランド、イギリス、フランス、スペインなどヨーロッパ各地の劇場やイベントに招かれての舞台公演を重ね、2012年からはベトナムなどのアジア諸国での公演も開始する。

公演の訪問先では、現地の人々を対象にした剱伎衆かむゐのオリジナルメソッド「剱伎道」のワークショプを開催し、また大学等で「現代のサムライ文化」の講演を行うなど、日本の文化発信や文化交流に積極的に取り組んでいる。

世界的な日本文化ブームの中、日本の伝統文化に深く根ざしながら、その現代的な解釈と実践によって、世界に通用する新たな日本人アーティスト像を提供し続ける。

2011年にヨーロッパ最大の日本文化フェスティバル「ジャパン・エキスポ」(パリ)に出演し衝撃的なパフォーマンスを披露すると、2012年には「ハイパー・ジャパン」(ロンドン)にて世界的ロックギタリスト・布袋寅泰と「Kill Bill」のテーマで即興の共演。

さらに2013年には、ヨーロッパ最大規模のポップカルチャーフェスティバル「ルッカ・コミックス&ゲームス」(イタリア、ルッカ)にて、シンガソングライター・小林未郁とのコラボレーション舞台公演を大成功させ、満員の観衆から大喝采を受け、ポーランドでは劇場公演に加えてジャズの殿堂である「ブルーノート」(ポーランド、ポズナン)にて単独公演を実現するなど、益々活躍の場を広げている。

国内外を問わず、今後の更なる飛躍が期待される《サムライ・ソード・アーティスト》である。
www.k-kamui.jp