INTERVIEW

紀里谷和明

凛然たる現代の騎士

Q映画「ラストナイツ」観ました。最後のシーンで誰かが発した「ヒーロー」という言葉が全てを物語っているというか…舞台は違えどまるで現代社会をみているようでしたね。「本当に大切なものは何か」という人間の核の部分がありありと浮かび上がって感じられました。

Aまぁ生きてて、みんな形のあるものを追っかけるじゃないですか。モノだったり、もっと言えば知名度や権力だったり、肩書きだったり。でも実はそんなものは重要じゃなくて、重要なのは形がないもの。それは愛であり、信じることであったりとかね。自分が大切だと思えるそういう形のないもののために、その形があるものを捨てられるかって話だと思うんですよね。「ラストナイツ」では、命も含めてなんだけど。

Q作中の国の設定ですが、一つの国に様々な人種がいて、共通の認識をもってうまく調和しているというのがとても新鮮でした。

Aそう、映画の中でさっき言ったことを浮かび上がらせていくには、「形」というものから離れたいというのがあったんです。それは「人種」という形であり、「国籍」という形であり、もっと言うならばその国自体もどこにある国かも分からないし、どのような時代かも分からない設定なんですね。それで形と言えるものを全部ゼロにしてしまいたいというのが僕の中にあって、その中で人間ドラマとしてなにを見せてていくのかが一番重要需要な事でしたね。

Q紀里谷さんの人生において、今回の映画はどういう。

Aまぁ自分にも当てはまる事だし、自分でもいつも自問自答することだし。やっぱり若い頃っていうのは、そういう形があるものを追っいかけがちじゃないですか。ファッションもそうだし、有名にならなきゃいけないとか、お金持ちにならなきゃいけないとか、やるでしょ。僕もやってたしね。ただそういう生き方がほんとに幸せなのかっていうと、少なくとも僕は幸せじゃなかった。何か追っかけて追っかけて追っかけていくという。その追っかけるというのが、例えば自分がやりたいの事を追っかけるのとちょっと違うと思うんだよね。こうしなければいけないっていう、自分がそもそも何か欠けているからそれを埋めなきゃいけないと思ってやる事と、自分が純粋にそれやりたいって思う事とちょっと違うと思うんですよ。だから、そういうものを追っかけて、それはメリットがあるんですか、無いんですかという事でしょ。いわゆるそれは駆け引きだし、未来との交渉をしてるわけですよね。その駆け引きであり、そのデメリット・メリットという事、損得勘定だけでやっていて、その人が幸せだったら僕はそれで良いと思う。しかし、どこかでそうじゃないポイントがくる時に、じゃあその人はどうするのかって自分で考えないといけないと思うんだよね。人からいくら言われたって、そうですね、分かりましたって大体次の朝は忘れてるからね。例えば山があって、その山見上げてこの山登ってみたいと純粋に思って登るのと、山見上げてこれ登ったら俺すごい有名になれるかなというのとちょっと違うと思うんですよ。だからそこですよね。そこがすごく重要。

Q純粋な衝動に基づく行動というか。

A分かりやすいのは、子供を見てればすごく分かりやすいんだけども単純に子供が外に行って遊びたいというのは、外に行って遊ばなきゃいけないではないわけですよ。勉強が嫌いだけど、勉強しないとお母さんに怒られるから、恐怖でやってるわけですからね。しかしながらそれとは逆に、俺僕これをすごく勉強したいんだと、すごく興味があるというのとは、全く別なわけですよ。だから、しなければいけないという所に僕は大きな違和感でがあり、疑問を持っている。まぁ生きているわけだから、生きていかなければいけない、お金を稼がなければいけない、食べていかなければいけない、それは当たり前の話ですよ。その通りだし、自分もそれをやるし。しかし、それと自分がどう見られるのか自分が何かが欠けているという事は、全く別な話なんですよ。例えば自分が無人島に住んでると。何か食べ物を取って食べないと死んでしまう、それはやらなきゃいけないですよね。しかし、それをやっていて自分に何かが欠けてるなんて、これっぽっちも思わないですよね。しかし、多くの人達がその最初の部分の餓死しないという前提は大体の人がクリアしてるんですよ。でも多くの人達が食べていくためにこれをやらなければいけないと言い続ける、するとその通りかもしれないんだけどもほんとにそうなんですかっていう疑問ですよね。大体が食べていくために言っときながら、それは大体が人から馬鹿にされないようにとか、人から笑われないようにとかが含まれていますよね。

Q常に他人の目線を気にした生き方は少し息苦しそうですが。

Aそれはジャッジするべき事ではないし、それはそういう人達でいい。僕は違う、自分自身でしょ。自分がそれは違うなと思っただけの話で、そういう人達を否定するつもりも何もない。ただそういう人達が違う生き方をする人達を否定するのもやめてほしい。自分の好きに生きてる人達をそれじゃダメでしょとか言うのは、ちょっと違うと思う。もっと大人になれよとか、そんなの無理だとか、色々言うじゃないですか。それはもうやめてほしい。だから「別個でいいじゃないか」と僕は思うんですよね。

Qそれって日本だけじゃなくて、世界中がそうなんでしょうね。

A世界中そうですよ。特にアメリカなんか最近10年20年でそれがひどいと思う。そういう考え方が。まぁヨーロッパもそうか。そこだって先進国はそれがひどいでしょ。みんなどこかで何かを持ってなければいけない、持ってないと自分が何者かになった気分になれない。そもそも何者かになる必要なんかないわけで。だって子供はみんなに何者なんかになる必要はないわけじゃないですか。自分も子供の頃そういう風に思ってなかったし、単純にやりたい事をやっていたし。しかし大半の人は「それだと食べれませんよ」と信じ込んでしまって「やりたくもない何か」を漫然とやっているんです。
誤解してもらったら困るのが、これを読む人達が、じゃぁ仕事しなくていいのかとかそういう話じゃないわけですよ。例えば与えられた仕事があって会社に入ったと。それがたとえ自分が望んだ会社じゃないとしましょう。そこでそのすごく自分がやりたくない仕事をやらされている。選択肢は2つあって、その会社をやめて違う仕事をやるのか、もしくはその仕事をやるのかその2つですよね。生きていくため、食べていくためにやらなければいけないわけですよ、それは絶対に。それであればそのやるという仕事を必死になって一生懸命やればいいじゃないかって思うんですよ。やっている姿が人からどう見られるとかそういう事じゃなくて、自分は何かが足りないとかじゃなくて、「目の前にある仕事に対して、喜びを感じる事が出来るんじゃないですか」というのを言いたい。でも多くの人たちはこんがらがっちゃって、手も足も出なくなっちゃってるでしょ。

Q確かに。何かに追われて、何かになろうと切磋琢磨している。

A何かになろうとしなくていいという事ですよね。自分ではない何者かになろうとする必要はないって事だね。ほとんどの「悩み」は、そもそも悩みなんてなかったところに、自分で勝手に悩みを作り出してる。それはそもそもが「こうなければいけない、こういう風であらなければいけない」というような”洗脳”。
そうじゃなくて、そもそもあなたは「子どもの頃はどうだったんですか」とさかのぼってみればいい。たぶん多くの人たちは、人種とか国籍なんて分けて考えていなかったと思うんだよね。それに自分が持っている「モノ」があったら当然のように人にも分け与えいてただろうし。そもそも「自分のモノ」って考え方も子どものころはなかったでしょ。そこを探っていけば、まぁ大体の事は解決するよね。僕がやるべき旅というのは、外に向かっていく旅ではなくて、内側に向かっていく旅だと思うんですよね。


 

Profile:紀里谷和明
映画監督/写真家
1968年 熊本県出身

『ラスト・ナイツ』
キャスト:クライヴ・オーウェン/モーガン・フリーマン
クリフ・カーティス アクセル・ヘニー ペイマン・モアディ アイェレット・ゾラー
ショーレ・アグダシュルー 伊原剛志 アン・ソンギ
監督:紀里谷和明
配給:KIRIYA PICTURES/ギャガ
©2015 Luka Productions.
公開表記:現在公開中
※本編115分/日本語字幕:戸田奈津子/PG-12

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