2007年3月、ニューヨーク・ブルックリンで行われたレゲエサウンドクラッシ『International Cup‐Garrison Showdown』では日本代表として出場し、アウェイの中優勝を成し遂げた実力派DJテラシー。もの静かで穏やかにみえる彼の中には”本物”を生み出す侍魂が燃え滾っていた今回MSCプレチオーサに乗船し船上でDJするという、テラシーの新たな冒険に同行。完全アウェイの土地でフロアをロックした彼にインタビューを敢行した。


ークルーズの旅、お疲れさまでした。どうでした?

こんな旅は初めてだったので、自分が初めてジャマイカ行ったときのような気持ちを思い出しました。船の中でも外でも、刺激に満ちあふれていて。
特に船のなかってあんなに快適なんだなってビックリしましたね。24時間食べ物がでるし、心配だった船酔いも全くなくて。カジノやディスコもあって、あの中に住めるんじゃないかなって思うほどでしたね。

ー船上のDJは圧巻でした。
あれは本当に面白かったです。普段とは全然客層も違いますし、かける曲も違ってくるし。勉強になりました。

ー世界各国の老若男女がいましたからね! 難しくなかったですか?
いや、逆にどんな感じか想像がつかなかったから「もうやりきろう」って思って。ある程度知っている場所なら「ああしようこうしよう」とか計算もできるけど、あのときは事前情報も一切ない完全アウェーだったから、「これをやろう!」ってやりきった感じ。そういった意味では楽しかったし、難しいことはなかったですよ。

ーある程度きめていたんですか?
決めてましたね。それといつも船上で回しているブラジル人DJにちょろっときいて、直前でまとめてって感じで。でも日本の曲はかけようと思っていてMISIAを最後に回しましたけ。NYで最初に挑戦したときの気持ちを思い出しましたね。

ーなるほど。船の上ではドレスアップナイトもありましたね。タキシードを着たテラさんは最高にCOOLでした。
普段まったく経験することのないようなフォーマルな夜もよかったですね。「ここにいていいのかな」なんておもいつつ、スーツをぱりっと着こなしてみたり。船の中では英語だけじゃなくてイタリア語やドイツ語も飛び交っていたり。そういうのを聴いているだけでも自分が外国にきたって感じをバンバン感じて。毎日ドキドキでしたね。エレベーター乗ってもイタリア語でちょいちょい飛び交うと「何いってんのかな。エロイ話でもしてんのかな」ってワクワクしてみたり(笑)。

ー(笑)。今回行った国(トルコ、クロアチア、イタリア、ギリシャ)は全部初めての国ですか?
はい、ヨーロッパ自体初めてでした。クロアチアの城壁は特に印象的でしたね。『世界の車窓から』って番組を彷彿とさせるようなまさにヨーロッパって感じの国で。「本当にこんなところがあるんだな〜」って思いましたね。
狭い路地とか古い建物とか、不思議な感じでした。ギリシャの遺跡もイタリアも。こんなの見たことないって場所がたくさんあって。曲になりそうな、いい経験になりましたね。
トルコもよかったです。外国の匂いを凄く感じた。人種もヨーロッパと中東が混在していて。
すごい不思議な感じがしましたもんね。

ー食べ物はどうでした?
美味しかったですよね。でもやっぱりみそ汁と白米が最後のほうに欲しくなっちゃいましたけどね。
今回の船旅って危険な場所もないし安全だし。船の中で24時間なにかしらやってるじゃないですか。イベントも食事も。夜ふわっと起きて「あっピザ食べたい」って食べにいける(笑)。晩ご飯のドレスコードが楽しかったですよね。フォーマルを着てディナー食べるっていうのがないから、スーツきて食べるっていうのが楽しかった。ヨーロッパの人たちに混ざって、セレブな気分を味わえましたし。

ーいまテラさんはどんなアドベンチャーしてますか?
やっぱり音楽ばっかりな毎日で。レゲエっていう音楽をどれだけ知らない人に伝えるか。伝えるためにどうするかって。そういう意味では脳みそ使いますね。

ー日本のレゲエ人口って増えてるんですか?
どうなんですかね、聴く人は増えてるんじゃないですかね。でも将来的にはCDじゃなくてダウンロードになるから。聴いている全体数はそんなに変わらないんだろうけど、商売にはならない感じで。増えているとは思います。

ー私自身、ジャマイカでレゲエを聴いたときショッキングだったんです。日本のレゲエと全然違って。日本のレゲエって特殊ですよね。その点で言えばテラさんのレゲエはジャマイカっぽいというか。
確かに日本のレゲエとジャマイカのレゲエは違いますね。やっぱり日本語っていう言葉の違いが大きいのかなって。ジャマイカも英語圏で、世界の半分くらいが英語圏な訳で。そもそもレゲエってその中で成り立っている音楽だから。だから日本語という言葉だけで雰囲気も違うし。違うのは当然だなぁって。それにそれぞれの国ではそれぞれの国のことを歌うので、その内容の違いもあるんだと思います。物騒な話ですが、例えば国が違えば犯罪も違いますよね。以前ジャマイカ人と話していて「日本では子どもが母親を殺してその死体を車につんでいる事件がおきた」って話したらみんなビックリしてて。「日本ではお母さんを殺すのか!」って。ジャマイカではどんなに不良でもお母さんをすごく尊敬しているんですよね。歌でも「サンキューママ」みたいなフレーズがあったりとか。でもこっちで「ありがとうお母さん」っていうと「こいつマザコンか」ってなりますよね。
そういうのもあるから。国によって色んな環境が違うし、音も違ってくるんですよね。
日本ではみんなに受け入れられる音って、やっぱり和風な、J-POP風な感じがあるから。さらに商売として考えると、どうしてもそっちに寄っちゃうし依らざるを得ない。いかに自分のやりたいことで勝負するかって、それは永遠のテーマなんですけどね。だから日本のレゲエとジャマイカのレゲエを聴き比べるとまったく別物になってしまうのはしょうがないかなと。
でもレゲエだ、レゲエじゃないってとこから入るより、「これいいな」って入るほうが一般的だとおもうからあまりそんな何が本当でっていうのもないと思うんですけどね。
僕もJ-POPは大好きですよ。特にリリックやトピックやそういうのが気になってますけどね。

ーそういえばクロアチアとトルコで買ったレゲエCDどうでした?
聴きましたよ〜!全然レゲエじゃなかった(笑)。ところどころレゲエリズムを感じたりしますけどトータルで聴くとEDM的でした(笑)。レコード屋の人には最初レゲエはないって言われたんですよ。その中でも「これが一番有名でレゲエっぽいかも」って渡されたのはEDMに現地の管楽器が入ってて(笑)。日本でいうとEDMに尺八が合わさってる、みたいな(笑)。

ーわぁ、それはエキゾティック!
エキゾティックですよ! EDMでしかも歌っている歌も現地の言葉でラップみたいな(笑)。しかも全て繋がってるのかな。1曲目からずーっと続いてて(笑)。

ー面白い! ぜひ聴いてみたい!
はは。レゲエではないけれど自分の曲づくりのヒントというか気になる点があったので良かったですね。聴いたことない音色だしメロディラインがフォークロアというか。日本の民謡的な感じなのかな。

ーテラさんは今後海外進出は考えてるんですか?
もちろん、視野に入れて動いています。どうしても今ジャマイカ人とのやり取りが多いのもあるし向うにいけるチャンスもあるのでやりたいとは思っています。ただ日本の活動をゼロにして、っていうのは考えてなくて、半分半分でやっていければなって。来年はたぶんNYやジャマイカにいることが多くなるんじゃないかなって思ってますね。

—次に海外いくならどこに行きたいですか?
もう一回ヨーロッパに行きたいですね。今度は音楽シーンに入って行きたいなって。イタリアはレゲエもあるし友だちもいるからそこでやってみたいっていうのもあるし、逆にクロアチアはレゲエがないって言っていたから、いきなりレゲエもっていって「なんだコイツ」って思われながらやっていくのもいいし(笑)。MSCの中でも軽く「何だコイツ」みたいな感じはあったんですけど(笑)、でもあれこそが第一人者の感激だと思うし、それを突き抜けていかないと広まんないしそういう処にいかないと行けないと思うんです。それは結構冒険なんだろうなって思いますね。
自分が今まで海外でやってきたことを考えても、やっぱりチャレンジしていかないと変わらないし、試していかないとプレイヤーとしてダメだなと。日本で自分のフィールドでやっていると、お客さんは自分のことを知ってて、曲も知ってて、盛り上がり方も知ってて・・・そういう中での気持ち良さは当然あるんだけど、それはラクですよね。今まで通りやればいいから。
みんなが自分を知らないところでやるってことは、自己紹介からしなきゃいけないから。それはすごく緊張感もあるし、やり終わったあとの気持ちも違いますよね。盛り上がったらそれは一番嬉しいけど、例え失敗したとしてもそれはそれで次に活かせる糧を手に入れることができる。どちらに転んでも成長できるっていうのかな。自信にも繋がるし、すぐに立ち直れる。全てプラスになるしポジティブになれる。
そういう挑戦をし続けたいですね。

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Profile
テラシー(レゲエDJ)

TELA-Cが初めて”REGGAEのSOUND”というものを知ったのは、中学生の時に同級生から借りた1本のカセットテープがきっかけだった。当時、”REGGAEといえばBOB MARLEY”という認識の中、レコードを回しMCを入れて盛り上げる”REGGAEのSOUND”というものをそのテープで知り、大きな衝撃を受けた。それからREGGAEだけが流れるクラブやイベントに遊びに行くようなると、遊びに行くだけじゃ物足りなくなり、ターンテーブルとミキサーを手に入れ、レコード屋に通いだすようになる。そして自分で回して遊ぶ事にハマり、今度は自分がクラブやイベントでREGGAEを流すようになっていった。人前でやる事が多くなっていくと、本格的に名前を決めて自分でSOUNDをやろうと決心し、1994年に横浜で”INFINITY16”を結成する。それと同時に、あの時カセットで聞いた本場のJAMAICAのSOUNDを生で感じたいと思い、同年に単身JAMAICAへ初めて渡る。そして音楽や文化、沢山の人々と交流し、本物の”JAMAICA”、そして”SOUND”を実際に肌で感じ大きな影響を受ける。初めて”DUB PLATE”を手に入れたのもこの時だった。1ヶ月の滞在を経て、そこで得た経験を持ち帰り、日本での活動を再開する。それからまた日本とJAMAICAを往復するうち、もっと長い時間JAMAICAで滞在を求め、その準備を始める。そして1998年、JAMAICAへ旅立つ。JAMAICAでしばらく滞在し、さらにはNEW YORKにあるREGGAEシーンにも興味を持ち、JAMAICAとNEW YORKを行き来しながら、約4年間の滞在を経て、2002年に日本に帰国する。日本での活動を本格的に再開すると、今までの経験と知識が実を結び、活躍の場が多くなっていった。この時期、INFINITY16が著しく大きくなった。さらに当時のINFINITY16のメンバーが、大きくなるスピードを加速させていった。そのメンバーが現在ARTISTとして活躍している”GOKI”と”湘南乃風”である。彼らはINFINITY16を結成する前から仲間であり、音楽活動以外でも色んな事を一緒に経験して来た”十代からのツレ”という事が何より深い絆を結んでいる。TELA-Cの帰国直後、自身が主宰するEVENTをやり始め、さらに国内で盛んに行われているBIG DANCEやSOUND CLASH、海外ARTIST達との共演や夏の野外フェスティバルにも多数呼ばれ、そのアグレッシブなSTYLEの練度を増していく。そして2004年の12月には川崎CLUB CITTA’で『10TH ANNIVERSARY』を開催し、さらに同年、国内SOUND CLASHでのNO.1を獲得する。2005年にはSOUND SYSTEMを運び、全国21ヶ所に及ぶTOUR『REAL WARRIORS TOUR』を敢行。2006年12月には『12TH ANNIVERSARY』を敢行し、川崎CLUB CITTA’史上最高動員数を記録し大成功を遂げた。そして2007年3月、NEW YORKで行われた世界NO.1を決めるSOUND CLASH『GARRISON SHOWDOWN』に日本代表として出場し、AWAYであるにも関わらず見事優勝を果たし、遂に世界に名を知らしめる事になる。同年4月に国内で、UNIVERSAL MUSICと契約を結び、INFINITY16の初プロデュース・シングル「DREAM LOVER」をリリース。湘南乃風、MINMI、MOOMINといった、REGGAEシーンのみならず日本の音楽シーンでも重要な位置を占める豪華ARTIST達が集結し、REGGAE SOUNDとしてORICON WEEKLY CHARTで第10位を獲得する。REGGAE SOUNDのデビュー作が、初登場TOP10入りという史上初の快挙を成し遂げ、SOUNDの新たな可能性を生み出す事に成功した。そして、同年12月に新しいSOUND SYSTEMを完成させ、音へのこだわりは止まる事を知らず、進化し続けている。常に高みを目指すその独創力は、REGGAEの可能性をさらに大きなモノへと押し広げるだろう。普通の物差しでは計れない、我々の想像を遥かに超えるINFINITY16は正に無限大の可能性を秘めている。